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あなたの知らない京都

大河ドラマ『光る君へ』・藤原公任の才能溢れる逸話を京都の風景ともにご紹介!

大河ドラマ『光る君へ』には藤原道長と仲良くしているイケメンの姿がよく映っています。そのイケメンは和歌はもちろんの事、漢詩と管絃もできる…いわば「できすぎ」マンだったそうです。今回の投稿ではその才に満ちた藤原公任に纏わる逸話を京都の風景を入れてご紹介させていただきます。

一条朝の四納言

『光る君へ』で既に注目を集めている青年たちがいますが、彼らは四納言と呼ばれるようです。四納言(しなごん)とは、平安時代中期の一条天皇の時代に活躍した4人の公卿(源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成)の事で、藤原公任もその四納言の一人です。(➡四納言 - Wikipedia)

大河ドラマ『光る君へ』・藤原公任

https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/p8na9PYYwM/bp/pxeADdRPVx/

大河ドラマ『光る君へ』で早くも話題を呼んでいるのが藤原公任。藤原道長と同じ年でありながら、のび太君のような藤原道長と出木杉君のような藤原公任の対比がドラマにアクセントを入れるような感じで、これからの2人の未来も楽しみです。

藤原公任・三舟の才

京都屈指の観光名勝である嵐山。その中でも渡月橋は嵐山のランドマークとも言えます。

嵐山・渡月橋

嵐山には渡月橋の他にも二つの橋があります。その中で最も知られているのは渡月橋ですが、実は渡月橋は元々法輪寺に行くための橋で「法輪寺橋」と呼ばれていました。

嵐山の橋に関する内容は別の投稿で書いておりますので、興味のある方はご参照ください。

嵐山・大堰川

さて、その渡月橋を境に川の名前が変わるのをご存じですか?同じ川なのになぜ名前が変わるのかは疑問に残りますが、特に京都は川の名前が場所によって変わることが多く見られます。

鴨川と賀茂川もそうですが、上賀茂神社を流れる鴨川は超難しい変化をなり遂げるのです。「鴨川が上賀茂神社に入り『御手洗(みたらし)川』となり、桜門の前で『御物忌(おものい)川』と合流して『楢(なら)の小川』に名前を変えて流れるが、境内を抜けると今度は『名神川』となる」のです。難しい😓

という訳で渡月橋を流れる桂川も渡月橋の上流は大堰川(おおいがわ)、渡月橋の下流を桂川と呼んでいて、大堰川のその先は保津川と呼ばれています。

その中でも大堰川は昔から天皇や貴族が船遊びを楽しんだ場所として知られています。

長い年月を経て、今も大堰川には舟遊びをするカップルや修学旅行の学生さんで賑やかです。

三舟の才

朝まだき嵐の山の寒ければ散るもみぢ葉を着ぬ人ぞなき

寛和2年10月10日(986年11月14日)に円融上皇が大堰川に舟遊びの際、漢詩の舟、管絃の舟、和歌の舟にそれぞれの名人を載せる際、どっちも優れた才能の持ち主だった藤原公任は悩んだ末、和歌の舟を選び、「小倉山嵐の風の寒ければ散るもみぢ葉着ぬ人ぞなき」という歌を読みます。

しかし、公任は後になって漢詩の舟を選んでおけば、もっと名声が上がったはずだと後悔したようです。どれも才能がある人はこのような悔しさを味わう事もあるでしょうが…贅沢過ぎるその悩みが羨ましい限りです。

ちなみに、大堰川の舟遊びから数年後、花山天皇により、藤原公任の歌「朝まだき嵐の山の寒ければ散るもみぢ葉を着ぬ人ぞなき」が「朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき」と訂正されたようです。その理由は「花山天皇が紅葉の錦にしたほうがより素晴らしい歌になる」と思ったからだそうです。それに対して藤原公任は拒否しますが、花山天皇は自分の思うままに歌を変えて「拾遣和歌集」に載せたのです。ちょっとイラっとしますね😓

藤原公任・百人一首

藤原公任の歌の中には百人一首に選ばれている歌があります。

百人一首55番

「滝の音は絶えて久しくなり成りぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」藤原公任

➡滝は枯れてしまって、その年月もだいぶ過ぎたが、その名は未だに人々の中に膾炙(かいしゃ)し、今も聞こえてくるようである。(kyotostory🌸訳)

藤原公任・名古曾の滝跡

大沢池には藤原公任の歌に因んだ「名古曽滝跡」があります。滝はもう平安時代に枯れてしまったようですが、その跡は国指定史跡として今も保存されています。

名古曽滝は嵯峨天皇(786~842)の離宮嵯峨院の庭園に設けられていた滝で大沢池の北方に位置する。発掘調査から,当初はかなりの水量があったと推定される。藤原公任(966~1041)が「滝の音は絶えて久しくなり成りぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠んでいるように,平安中期には既に水は枯れていた。この石標は国指定名勝である大沢池と名古曽滝跡を示すものである。一帯の大覚寺境内は昭和13年に史蹟名勝天然紀念物保存法により史蹟に指定され,現在は「大覚寺御所跡」として国指定史跡。➡UK036 大沢池附名古曽滝趾

名古曽滝跡は「紅葉ロード」を進むと、大沢池の片隅にあります。

名古曽滝跡・春

桜ばかりに目を取られがちですが、名古曽滝跡に行く道には椿が見頃で、とても綺麗でした。

春は満開の桜と椿のコラボが楽しめます。

大沢池に来る人の多くは池や桜ばかりに目を取られるので、名古曽滝跡は独り占めのような感じでをゆっくりめぐる事ができるのでお勧めです。

「名古曽滝跡」周辺は野原のような感じで、タンポポや色んな草花が広がっていて、とても長閑な風景です。

✅「名古曽滝跡」に関する詳しい情報はリンク先をご参考ください。

➡UK013 名古曽滝址 (kyoto.lg.jp)

名古曽滝跡・秋

秋は名古曽滝跡の掲示板が紅葉に囲まれているかのような感じで、とても綺麗でした。

名古曽橋

大沢池に浮かぶ天神島から名古曽滝跡方面に渡る「名古曾橋」が2月6日完工し、開通式典が行われました。(写真は2月7日・京都新聞朝刊)

✅興味のある方はリンク先をご参照ください。

➡名古曽橋竣工法会・開通式典を開催します – 旧嵯峨御所 大本山 大覚寺

名古曽橋・20230213

大覚寺に行って来ました。真っ先に向かったのは名古曾橋😊チラシにはまだ名古曾橋が書かれてない、つまり、以前と同じチラシでしたが、kyotostory🌸の更新?とすれば、

名古曾橋は黄色い線の所になります。

大覚寺には梅林もあり、春を楽しめるのですが、梅林の梅の花は咲き始めでした。しかし、竹林近くの梅は見頃でした。千本釈迦堂の梅の花も見頃の梅の花と蕾の梅の花が混ざっていましたが、大覚寺の梅林は少々遅く2月末頃が見頃だそうです。

名古曾橋は梅林から近いなので、梅の花とのコラボも楽しめます。

kyotostory🌸大覚寺・大沢池

藤原公任・紫式部

寛弘5年(1008年)11月1日、土御門殿で催された敦成親王(後一条天皇)の誕生祝いの宴で、酔った公任が紫式部に対して「この辺りに若紫は居られませんか」と声をかけたという記録が紫式部日記に書いています。その公任に対して紫式部は「光源氏に似ているイケメンもいないのに、紫の上がいるはずがないでしょうが」返したようです。

才能に溢れた公任と才女である紫式部、その二人の関係に関しては諸説ありますが、「若紫」を「我が紫」として捉える解釈もあるようです。藤原道長との事を考えると公任は酔ってからでないと本音を出せない身分でもあったのではと思うと、あの二人は…もしかすると…恋仲?そう…私も恋仲に一票です。

ちなみに、この逸話は『源氏物語』が既に公任を含む多くの人に読まれていた事を示す資料としても重要な価値があるようです。

まとめ

ライバルというのは人生にとってよいパートナーにもなれますが、あまりにも相手が強すぎると自分の道が塞がってしまう場合もあります。まさに藤原公任もそうでした。藤原北家小野宮流、関白太政大臣である藤原頼忠の長男としての栄華に恵まれるも、徐々に藤原道長による挫折を味わう事になります…。同じ時代に藤原道長さえいなかったら、彼の人生は大きく変わったかもしれません。

権力に対しては藤原道長を超える事ができなかった藤原公任ですが、彼の歌は綿々と今に繋いでいるので、芸術面で藤原公任は藤原道長を超える事ができたとも言えます。

藤原道長と藤原公任がタイムスリップしたら笑うのは誰でしょうか。ちょっと気になるこの頃です。

参考サイト・参考文献

✅藤原公任 - Wikipedia

✅四納言 - Wikipedia 

✅第110回 歌で巡る京の秋景色~渡月橋・二尊院・東福寺・清閑寺~ (bs11.jp)

✅UK013 名古曽滝址 (kyoto.lg.jp)

✅『京都の山と川』(中公新書) 鈴木康久・肉戸裕行

✅眠れないほどおもしろい紫式部日記

*とても分かりやすく、楽しく進めます。本には一条朝の四納言に対する内容も詳しく書かれていますので、四納言に興味のある方にもおすすめです。