昨日放送された大河ドラマ「光る君へ」紀行(➡「光る君へ」紀行②)に京都御所と共に、二年前、自転車で通った「千本丸太町」と昨年の秋に同じく自転車で円町から進んで出会った「大極殿跡」が紹介されました。実は大極殿は『源氏物語』ゆかりの地でもあるのです。
今回の投稿は「千本丸太町」と内野児童公園内にある「大極殿跡」をご紹介させていただきます。
千本丸太町
千本丸太町の交差点んのあたりから「え???」となるような案内版が多く置かれていました。しかも、その案内版はとても目立つ大きなパンネル?で鮮やかな絵物のよう…さすが京都と納得でした。
平安神宮は実は千本通に創建予定だったそうです。その理由は歴史上、「大極殿跡」が千本丸太町にあったから!」という事でした。
「大極殿跡」に関しては交差点の辺りに丁寧に説明されている案内版が置かれていました。
内野児童公園(20231120)
大極殿跡は意外な所にありました。あの羅城門跡が千本通を進む京都市の南、東寺周辺の公園にあるように、大極殿跡も千本通にある公園の中だったのです。
いつもなら気付かずスルーする事だったでしょうが、その日は代休の主人が私を連れて行ってくれたので、「平安京朝堂院跡」という案内版がある角を進んで内野児童公園まで行く事ができました。
延暦13年(794), 桓武天皇によって都が平安京に定められました。その北辺中央にあった平安宮は、天皇が住む内裏 (現在の皇居)や、役所が集まる国家の中枢部でした。この内野公園は、 天皇が即位の儀式や政治を執り行う大極殿があった朝堂院の北西部で、公園北半は大極殿を囲む北回廊と昭慶門に当たります。
『源氏物語』ゆかりの地・大極殿跡
平安宮(大内裏)の正門の朱雀門を入ると応天門 もつ朝堂院(八省院)があり、この正殿が大極殿でした。その大極殿は平安宮最大の建物でだったようです。
斎宮が伊势に向かう前、大極殿において天皇から「別れの御」を額に挿してもらう決まりがあったようで、『源氏物語』の「賢木」でも朱雀帝が斎宮(後の秋好中宮)に 別れの御櫛を挿す描写があります。
『源氏物語』・賢木
『源氏物語』の賢木巻では御息所と源氏の別れの場所として野宮神社が、斎宮のみそぎの儀式の場所として桂川が登場しますが、斎宮が伊勢に向かう前の儀式の場所として登場するのが大極殿だそうです。
(中略)斎宮は十四でおありになった。きれいな方である上に、錦繍(きんしゅう)に包まれておいでになったから、この世界の女人(にょにん)とも見えないほどお美しかった。斎王の美に御心(みこころ)を打たれながら、別れの御櫛(みぐし)を髪に挿してお与えになる時、帝(みかど)は悲しみに堪えがたくおなりになったふうで悄然(しょうぜん)としておしまいになった。式の終わるのを八省院(はっしょういん)の前に待っている斎宮の女房たちの乗った車から見える袖の色の美しさも今度は特に目を引いた。➡紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 榊 (aozora.gr.jp)
何気ない日常の中に1000年もの年月が溶け込んでいるかのような空間…ここで行われていた平安の風景が幻のように感じられました。京都はこのようなタイムスリップの空間が散在する町でもあります。
公園にはイチョウの木とカエデが植えられていて、秋になると綺麗な紅葉が楽しめると思います。(私が行ったのは紅葉の前でした😓)
【番外編】賢木・野宮神社
光る君へ紀行·太極殿跡動画
内野児童公園・アクセス
🔹市バス「千本丸太町」
公園から歩いてすぐの場所にバス停がありました。残念ながらバス停の名前が浮かばずですが、おそらく「千本丸太町」ではないかと思います。➡京都市バス時刻表:千本丸太町
ここから市バスに乗ると千本通りを進むので、千本閻魔堂も行けます。その後、バスによって大徳寺(206番)か上賀茂神社(46番)方面に行かれるのもお勧めです。大徳寺前で降りると雲林院も近いです。
京都御所
巨大な広さを誇る京都御苑を歩くと現れるのが京都御所。
京都御所は私が京都に初めて来た時は年2回の無料公開の時期以外は予約しないと入る事ができない場所でしたが、だいぶ前から一般公開されるようになったので、今は休止日以外は当日でも参観できるようになりました。➡sankan.kunaicho.go.jp/info/20160720_01.html
(京都御所は次回投稿予定です。)
京都御所・アクセス
地下鉄烏丸線 今出川駅から徒歩10分程
市バス 烏丸今出川から徒歩10分程
平安宮跡・おすすめサイト
https://www.kyoto-arc.or.jp/heiansannsaku/jurakudai/img/1kyu-1.pdf