『古都』の中の京都ー鞍馬寺竹伐り会式
鞍馬寺竹伐り会式
鞍馬山竹伐り会式には一回だけ行った事があります。2008年なので、もう15年前になります。忘れて同然とも言えるでしょうが…その通り…今はあまり覚えておりません。写真も殆ど撮っておらず、見付かったのは…今回の投稿で載せたの二枚だけでした。
鞍馬寺竹伐り会式
鞍馬山竹伐り会式(たけきりえしき)は,6月20日に鞍馬寺で行われる,水への感謝と吉事の招来を祈る行事です。平安時代,峯延上人(ぶえんしょうにん)が修行中に襲ってきた雄の大蛇を法力で倒し,雌の大蛇は鞍馬寺の香水(こうずい)を守護することを誓い,「閼伽井護法善神(あかいごほうぜんじん)」として祀られることになったという伝説が起源です。(中略)江戸中期頃から「近江座」と「丹波座」に分かれ,伐る速さを競い,その年の農作物の吉凶を占うようになりました。
鞍馬寺の竹伐り会式 動画
京都左京区役所ホームページに京都市の公式動画がリンクされていたので、こちらの動画とコロナ禍前の2014年の産経ニュースの鞍馬寺竹伐り会式の動画を貼り付けます。京都市の動画はナレーションが付いていますので、京都市の公式動画→産経ニュースの動画の順番がおすすめです。
川端康成は朝日新聞の連載小説『古都』の第45回に鞍馬寺竹伐り会式の模様を詳しく書いています。(新聞連載『古都』では「鞍馬寺の竹伐り会」)その中…特に詳しく書かれいてるのは…稚児による「七度半(しちどはん)の御使」になります。
『古都』の中では鞍馬の火祭は中止になったものの、「竹伐り会」は開催されるのですが、19日に続き「竹伐り会」の当日にも雨となり、太吉郎は「竹伐り会」に行く事をやめます。
『古都』の中の「鞍馬寺の竹伐り会」
千重子のお父さんである佐田太吉郎は「男らしくもあるから」鞍馬寺の竹伐り会が「好きな行事であ」り、今度は千重子を連れて見に行こうとしたが、梅雨の盛りで前日から降り出す雨で「来年も、またあるこっちゃ。あきらめとき。こない、もやがかかった鞍馬山なんで.....」と言って行くのを止めます。「お父さん、千重子は雨なんて、なんともおへんえ。」と千重子は言ったものの。
嵯峨の尼寺に隠れていた太吉郎は湯豆腐を持ってきて入り口あたりの竹林に目を向けている千重子に「もう竹の秋やな」、 「くずれかけたり、傾いたりして、だいぶはげてる。わしみたいなもんやな」と土塀に目を落とします。
「竹の秋」に尼寺の「竹林」により世間とも自分とも二重に遮断された様に見える太吉郎は、雨が降るという事で「もやがかかった鞍馬山」の竹伐り会式に行かない事にします。おそらく太吉郎は靄をもう一つの「竹林」のような遮断幕に感じたのではないでしょうか。
実に雨中の鞍馬山の靄は広くて深いです。特に竹伐り会式が行われる鞍馬寺本殿から山のほうに目を上げると白き山のようにも感じます。その上…雨の音に稚児の声の響きは隠れてしまい、刀の音も雨と混ぜてしまいます。太吉郎は鞍馬寺の竹伐り会式で心の響く音を何より求めたのではないでしょうか。そして…その清澄な音を千重子に「聞かせたかった」のでしょう。
まとめ
京都の様々な祭を取上げた川端康成、特に祇園祭には千重子と苗子、時代祭には秀男と苗子、鞍馬の火祭りは千重子、鞍馬寺の竹伐り会式には太吉郎を組み合わせています。
まさしく竹と言えば外面的には真直な北山杉とも見えるが、嵯峨の尼寺の竹林と太吉郎の呉服問屋にある古井戸の<竹を組んだ、ふた>はどうも遮断、空虚のイメージで太吉郎と重なります。
鞍馬寺ホームページ
竹伐り会式のご参拝について
〇祭場付近は、大変、混雑しますので、警備係員の指示に従ってください
〇真剣を使うので、安全のために祭場の通路に入らないようお願いします
〇祭儀は、午後2時から、約1時間です。屋外にお立ちになったままでの参列になりますので、熱中症にご注意ください
〇午後1時から、祭儀終了後の片づけが終わるまで(午後3時半頃)、本殿内には入ることができません
〇当日のご祈祷は、午前11時45分の受付までで、終了します
〇御朱印は、本殿に向かって右側の百楽亭で終日、受付けます
〇コロナウィルス感染防止のため、感染対策にご協力をお願いします
(鞍馬寺ホームページより)