大河ドラマ『光る君へ』。9月1日の33話での「紀行の舞台」に藤原定家と共に奥野々宮地区と長神の杜地区の百人一首歌碑が紹介されました。紫式部の歌碑を見る事ができるのは長神の杜地区です。
今回の投稿では藤原定家のお塚と共に嵐山の小倉百人一首歌碑を中心にご紹介させていただきます。
藤原定家
平安末期から鎌倉初期の公家、歌人ですが、百人一首の撰者としても知られています。
百人一首とは?
藤原定家が飛鳥時代から鎌倉初期までの百人の歌人の歌を一首ずつ選らび集めた歌集の事をいいます。
「小倉百人一首」と呼ばれるのは藤原定家が嵐山の小倉山荘で歌を選んだ事に因んでいます。
小倉山
嵐山のランドマークとも言える渡月橋。その渡月橋のバックにある山の一つが小倉山です。とても穏やかで、ゆったりした感じの可愛らしい山です。
春は菜の花とお山のコラボも楽しめます😊
厭離庵・藤原定家の塚
藤原定家が百人一首を編集した「小倉山荘跡」として知られる厭離庵には藤原定家の塚があります。
秋の特別公開の境内は紅葉が見頃。人で溢れる中、あまり目の留まる事もないだろうな場所に藤原定家の塚がありました。
厭離庵で頂ける御朱印は書置きではなく手書き御朱印です。しかも御朱印に書かれてるのは藤原定家の歌(来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ)だそうです。読めませんが…。
藤原定家ゆかりの地である「二尊院」と「厭離庵」は以下の投稿でもすこし書いておりますので、ご興味のある方はリンク先をご参照ください。
小倉百人一首歌碑
「小倉百人一首歌碑」ができたのは2007年。京都の嵐山と嵯峨野を「小倉百人一首」のテーマパークにするという、京都商工会議所120周年記念事業の一環として建立されました。
長神の社地区・19首
奥野々宮地区・7首
野々宮地区・4首
嵐山公園亀山地区・49首
嵐山東地区・21首
嵐山・嵯峨野歌碑めぐりに関する詳しい地図はリンクをご確認ください。
長神の社地区
京都市の説明によると長神の杜は歴史的風山特別保存地区であり、旧字長神と呼ばれていた事から当園地を長神の杜と名付けられたようです。
紫式部・百人一首
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな
紫式部は久々に長馴染みのお友達に会えたのですが、その友たちとゆっくり話す事も出来ず、月と競争するかのように帰ってしまった事を読んだと言われています。
蘆山寺・紫式部歌碑
紫式部ゆかりのお寺、蘆山寺にも紫式部の歌碑があります。
長神の社には「奈良の八重桜」を読んだ伊勢大輔の歌碑もありますので、ご興味の方はリンク先をご参照ください。
長神の社・アクセス
長神の社から右側には徒歩5分距離には向井去来さんのお墓と西行井戸、もう少し歩くと落柿舎、長神の社から上に進むと二尊院です。二尊院や落柿舎に行かれる際は長神の社にも寄ってみてください。
【番外編】弘源寺・向井去来お墓
【番外編】西行井戸
嵐山東地区
嵐山東地区には21首の歌碑がありますが、10首の歌碑を見つけました。
①「小倉百人一首」第64番
朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらわれはたる 瀬々の網代木 ― 権中納言定頼
②「小倉百人一首」第67番
春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ ― 周防内侍
③「小倉百人一首」第74番
うかりける人を初瀬の山おろし激しかれとは祈らぬものを ― 源俊頼朝臣
④「小倉百人一首」第75番
契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり ― 藤原基俊
⑤「小倉百人一首」第80番
長からむ 心もしらず 黒髪の みだれてけさは 物をこそ思へ ― 待賢門院堀河
➅「小倉百人一首」第81番
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただありあけの 月ぞ残れる ― 後徳大寺左大臣
➆「小倉百人一首」第82番
思ひわびさても命はあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり ― 道因法師
⑧「小倉百人一首」第83番
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる ― 皇太后宮大夫俊成
⑨「小倉百人一首」第85番
夜もすがらもの思ふ頃は明けやらでのひまさへつれなかりけり ― 俊恵法師
⑩「小倉百人一首」第86番
なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな ― 西行法師
アクセス・嵐山東公園
嵐山公園亀山地区
嵐山公園亀山地区には49首の「小倉百人一首」歌碑があります。
今回に載せる歌碑は百人一首の順番ではありませんので、ご了承ください。
嵐山公園亀山地区には49首の「小倉百人一首」歌碑がありますが、今まで見つけたのは24首の歌碑です。
①「小倉百人一首」第40番
しのぶれど色に出にけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで ー 平兼盛
➁「小倉百人一首」第41番
恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか ー 壬生忠見
➂「小倉百人一首」第44番
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をもうらみざらまし ー 中納言朝忠
➃「小倉百人一首」第38番
忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人の命の 惜しくもあるかな ー 右近
⑤「小倉百人一首」第59番
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな ー 赤染衛門
➅「小倉百人一首」第62番(清少納言)
夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関は許さじ ― 清少納言
⑦「小倉百人一首」第26番
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば いまひとたびの みゆきまたな ー 貞信公
⑧「小倉百人一首」第3番
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む ー 柿本人麿
『万葉集』は、現存する日本最古の和歌集で、身分に関わらず、様々な人が読んだ歌が約4500首載せています。天才歌人と言われる柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ)は『万葉集』を代表する歌人で万葉集には100首以上の歌が載せられています。
「言の葉の庭」には「万葉集」に載せている柿本人麻呂の歌が使われて、話題を呼びました。別の投稿で書いておりますので、興味のある方はご参照ください。
➈「小倉百人一首」第5番
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき ー 猿丸大夫
⑩「小倉百人一首」第7番
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも - 安倍仲麿
⑪「小倉百人一首」第11番
わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり舟 ー 参議篁(小野篁)
小野篁については別の投稿で書いております。
⑫「小倉百人一首」第26番
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは ー 在原業平朝臣
⑬「小倉百人一首」第16番
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む ー 中納言行平
⑭「小倉百人一首」第18番
住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ ー 藤原敏行朝臣
⑮「小倉百人一首」第21番
今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな ー 素性法師
⑯「小倉百人一首」第22番
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ ー文屋康秀
⑰「小倉百人一首」第30番
有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり うきものはなし ー 壬生忠岑
⑱「小倉百人一首」第31番
朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に ふれる白雪 ー 坂上是則
⑲「小倉百人一首」第32番
山川に 風のかけたる しがらみは ながれもあへぬ もみぢなりけり ー 春道列樹
⑳「小倉百人一首」第33番
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ ー 紀友則
㉑「小倉百人一首」第34番
誰をかも しる人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに ー 藤原興風
㉒「小倉百人一首」第35番
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける ー 紀貫之
㉓「小倉百人一首」第36番
夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ ー 清原深養父
㉔「小倉百人一首」第43番
逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり ー 権中納言敦忠
嵐山亀山地区は別の投稿で書いておりますので、気になる方はリンク先をご参照ください。
アクセス・嵐山公園 亀山地区
まとめ
小倉百人一首歌碑、いかがでしたか?今回の投稿では小倉百人一首歌碑の中での3個所になりましたが、嵐山にはその3個所に加えて奥野々宮地区と野々宮地区にも小倉百人一首歌碑があります。
ちなみに、藤原定家の百人一首歌碑は野々宮地区、藤原公任の百人一首歌碑は清少納言と同じく嵐山公園亀山地区にあります。
奥野々宮地区と野々宮地区は野宮神社からも近いので、野宮神社に行かれる際、小倉百人一首歌碑にも足を運んでみたらいかがですか?
奥野々宮地区と野々宮地区はゆっくり追記予定です。