日本三大火祭であり、京都三大奇祭である「 鞍馬の火祭」をご存じですか?
「 鞍馬の火祭」は毎年、時代祭りと同じ日の10月22日に鞍馬で行われる由岐神社の例祭です。「鞍馬の火祭」も祇園祭や時代祭と同じく……コロナ禍で2000年と2001年は中止になりましたが、今年は3年ぶりの開催が決まりました。
今回の投稿では「鞍馬の火祭」をご紹介いたします。
鞍馬の火祭
「鞍馬の火祭」は毎年10月22日の夜に鞍馬で行われる由岐神社例祭で、京都三大奇祭の一つでも知られています。
鞍馬の火祭・由来
天慶三年(九四〇年)御所にお祀りされていた由岐大明神を、当時天慶の乱(平将門の乱)や都の大地震など騒然とした世の中の平安を願い、当時の朱雀天皇の詔により御所の北方に当たる鞍馬へ由岐大明神を御遷宮され、都の北方の鎮めとされました。御遷宮の時に手には松明を持ち、道々にかがり火を焚き、鉾を先頭に、その行列は十町(約一キロメートル)にも及び、天皇自らの国家的一大儀式でありました。この儀式と由岐大明神の霊験を後世に伝え守ってきたのが鞍馬の住民であり、由岐神社の例祭(鞍馬の火祭)の起源であります。 『鞍馬の火祭』 パンフレットより
鞍馬の火祭・『古都』
『古都』の「秋深い姉妹」には「祭りのじつに多い京都で、千重子は、鞍馬の火祭りが、むしろ大文字よりも、好きであった。」 と書かれています。
ここで……中京区の呉服問屋の1人娘で、「花やったら、ここの紅しだれよりほかはみたいことない」)と言う千重子が、祭りの中で「鞍馬の火祭り」が何より好きというのはちょっと意外と思われます。
一方、清水寺から眺める夕焼け空が好きで…自分の感情が「ありすぎて…困るみたい」という千重子が北山杉と青連院の楠という正反対の形である木を好むのを考えると、平安神宮の紅しだれ桜と北山杉が千重子の外面に近く、青連院の楠と鞍馬の火祭りは千重子の内面の反映とも考えられます。
真っ暗な山村、そこで燃え立つ巨大な炎と響く掛け声。鞍馬の火祭りは祗園囃子のやさしさや大文字の遥か向こうの揺らめく美しさとは全く違います。
目の前で燃える大松明は夢幻的雰囲気の中、神の降臨まで感じれるような神聖ささえ感じられるのです。もしかすると、千重子はその神聖さの中で自分の内面の精化を求めたのではないでしょうか。
また……その神聖さにより、「仇野あたりの無縁仏のうちにもおいやすやろう」)千重子の産みの親との邂逅の場になるとしてもより相応しいのではないかと思ういます。
しかし、「鞍馬の火祭」はやや激しい祭りであり、夜6時からスタートした祭りは夜遅くまで続きます。その事から考えると、中京区住まいの千重子にとって鞍馬は…(例えご両親と一緒だとしても…)決して気軽く…出かける場所とは言えません。
一方、着物姿で高尾まで行って、そこから北山杉に進む千重子の姿を考えると、「鞍馬の火祭」が行われる鞍馬は千重子にとっては遠くとも言えないかもしれません。
そこで、気になるのは....いつも着物姿の千重子が「鞍馬の火祭」にはどのような服装で行ったのか....という疑問が残りますが、やはり着物ではないかという気がします😅
『古都』の中では「鞍馬の火祭」は中止になりますが、「祇園祭」と「時代祭」は予定通り行われ、その当時の様子が作品の中で詳しく描かれていますので、気になる方はいかがですか?
鞍馬の火祭・20071022
「鞍馬の火祭」に行ったのは2007年の一回だけで、写真もあまり撮っておらず、鞍馬に着いたのが遅かった事もあり、由岐神社に行く事も出来ませんでした。コロナが落ち着いたら、ゆっくり鞍馬に行ってみたいです。
鞍馬の火祭・動画
まとめ
鞍馬の火祭・臨時交通規制
詳しい情報はリンク先をご参照ください。
由岐神社・ホームページ
鞍馬の火祭・アクセス