今回の投稿は初めて書いた小説になります。「掌の小説」とも言えるかもしれません。
20年近く前書いた小説になりますが、自分も驚くほどすらすらと一気に完成できた小説です。
コンテストの内容は、よく覚えておりませんが、おそらく……ある大学で開催された「お寺かお坊さんが登場する1ページ短編小説コンテスト?」だったと思います。
ちょうど、宇治の三室戸寺に行って、その紫陽花のイメージが残っていた事もあって、軽い気持ちで応募しましたが、軽く😅落選しました。(後で確認すると1ページをかなりオーバーし、誤字も多く見つかりました。今回、載せたのは少し訂正しております。)
🔹俳句を含め……京都をテーマに書いた小説(すべて落選作になりますが😅)は思い出の投稿になりますので、ご了承ください。
🔹20240218・探し物で、三室戸寺の「原石おみくじ」を見付けました。写真を載せておりますのでご参照ください。
「大丈夫ですか?」
気が付いたらお寺だった。どうやってここまで来たのか全く覚えがなかった。何があったのか……私はなぜここにいるのか。
「大丈夫ですか?」と話をかけた人はお寺の人であった。呆然とした私が何も考えず入口を通ろうとすると変な人だと感じて私に声をかけたらしい。ふと、廻りを見ると何人かの人が参拝券を求めながら私を覗いていた。私はお金を払って中に入った。私はちゃんとバッグを持っていた。
眩しき美しき盛ん紫陽花。山中寺寺中花花中人……私は人波の中の島のようだった。私は人波に流されながら花を見た。目を染めるような青。その青の中に川が流れている。そう。今朝、宇治駅に着いた。橋の欄干から波の激しい流れをずっと眺めた。すると川の中に彼女がいた。幻。
「さよなら……」
ケータイに残されていた彼女のメッセージだった。彼女のケータイは繋がらなかった。茫然とした気持を納める間もなくベルが鳴った。彼だった。
「ごめん」
「なに?」
彼女の自殺を彼から聞いた。何も考えられなかった。いな,信じたくなかった。彼女に会いに行く事さえできなかった。
「今日一緒に行かない?」
彼女が私に初めて話をかけたのは小学生の時だった。彼女は勉強も運動もあまり目立たない子だった。その日,「いつか一緒にお風呂に入りたいな」と彼女が何けない顔ぶりで話した事を今も覚えている。その日以来、ずっと彼女は私を温く愛した。
優しくて女らしい彼女と違って全く正反対である私に先に彼氏ができたのは意外だった。
しかも、相手は彼女のファンとして彼女から紹介して貰った人だった。
「大丈夫?最近、あまり連絡もなく,彼氏できた?」
ケータイの向こうから,「なに」と楽しそうに笑う彼女の声が聞こえたのは昨日の昼だった。
「ちょっと……すみません」
写真を撮ろうとする人から、進む流れを完全に邪魔している私にやや怒りを乗せた声が聞こえた。何も考えず歩き出した。真っ白な紫陽花の群が眩しい。
「あの,明後日……見に来ない?私の初舞台」
彼女が舞台に出る時間は僅か2分か3分だった。新しく脚色した『ハムレット』で彼女は狂ったオフィーリアの分身のような役で、真っ白でひらひら透けるドレスを着ていた。台詞もなくただひたすら遥か遠くのどこかを凝視していた。
その目つきからミレーの『オフィーリア』が浮んだ。モデルの女の人もオフィーリアのように薄命だったという事を思い出したその瞬間、客席から「あ……」という嘆声が出た。彼女の目からそっと涙が落ちたのである。その涙は綺麗だった。
「宇治に行きたいけど一緒に行かない?」
宇治川で何も話せず、ずっと川を眺めていた彼女の横顔から何とも言えない切なさを感じながら、歩いて着いたのがこのお寺だった。浮船の石碑の前で立っていた彼女は、ハスの透明な色に吸収される様に見えた。
「何を考えるの?」
「うん、まあね」
帰りの電車の中でも彼女はあまり喋らなかった。心の中が深く沈んでいるようだった。その静かさから宇治川の激しい流れの音が聞えるようであった。
彼女が彼を私に紹介したのはその日からまもなくだった。「オフィーリアの涙を見てから彼女が出る芝居には必ず行くようになった」と話す彼の声は深くて冴えていた。
その後は三人で会う事が多かった。私は彼と一緒に彼女の芝居を見に行く事もあった。芝居が終わったら彼女を待って一緒に食事をしたりお茶を飲んだりした。しかし彼女はだんだん忙しくなって、彼と二人で帰ることが増えた。帰りには3人で行った食堂やカフェによく寄った。そして彼は私にプロポーズをした。
「私、結婚するかもしれない」と彼のプロポーズの事を彼女に話したのは先月だった。その後は前のように彼女と三人で会う事が増えた。このごろ彼女はしばらく芝居を休んでいた。「疲れたの」と彼女は話した。
舞台の上の彼女はどんなに小さい役でも観客を圧倒させる力があった。それ故に、彼女が出る芝居を見たら一番強烈なイメージで記憶に残るのは主役ではなく彼女だった。劇場から出る観客の中でも彼女を探すためチラシを再度読んだり、パンフレットを買ったりする人が少なくなかった。
でも舞台を離れて無心に彼と私の話を聞いたり静かに笑ったりする彼女の姿には舞台で発するその力は微塵も感じなかった。私はその彼女が好きだった。
「結婚はいつ頃に考えるの?」彼と私は目を合わせた。いつでもいいと思った。でもいつまでも今のように一緒に過ごしたかった。恐らく彼もそんな風に見えた。それに彼は結婚式の事に関して一回も口に出したことが無かった。
「あの、写真お願いしてもいいですか?」
「あ、え……」
カメラのレンズの中にちょうど咲き始めたハスが光っていた。私は自分がもう本殿の所にいる事に気がついた。目が覚めた。
「見て!浮船の石碑よ」
先ほど写真を頼んだ女の人の声だった。その姿から昨年、この石碑の前に静物のように立っていた彼女の残像が重なった。涙が出た。
「彼女を愛した」
今朝、淡々と話す彼の声は普段と同じく落ち着いていた。彼女と彼がいるその風景だけで喜びに満ちて眩しいほどだった私は涙も出なかった。
「願石おみくじって、珍しくない?」
彼女は丁寧に小さい封筒の中からおみくじと玉石を出した。
桃色の玉石は近くから見ると万華鏡のようにも色が綺麗に変わった。その玉石を彼女は私に渡した。大事にいつも持っていたこの玉石を私は石碑の下に置いた。
「彼女をよろしくお願いします」
なんだか心が暖かくなった。彼女に会いたい。彼と話したい。急に気が急いて来た。足を速めた。夕暮れ気味の西の空の奥が透明な桃色に見えた。(終)