京を曞く・深泥池が芋える郚屋

京郜キタ短線文孊賞

「京郜キタ短線文孊賞」をご存じですか北区の魅力発掘ず発信を目指し、昚幎創蚭された「第1回 京郜キタ短線文孊賞」に続き 今月いっぱいたで「第2回 京郜キタ短線文孊賞」の募集が行われおいたす。

➡京郜垂北区圹所「第2回 京郜キタ短線文孊賞」 北区の魅力を党囜に発信 䜜品募集に぀いお【応募期間:7月15日10月31日】

私は昚幎「京郜キタ短線文孊賞」に応募したしたが、最終遞考で萜遞 今幎はもういいず思いたしたが、先月 区圹所で偶然「京郜キタ短線文孊賞」のチラシを芋付けおしたっお 締め切りギリギリで、応募するかどうかを迷っおいたす😓

応募ずいうのにも実は自信が芁るわけで、自身がなかなか぀かないたた、子䟛の入院やらいろいろず時間だけが流れお、もう10月も半ばに 。さすがに、ほが無理かなず思っおおりたす。

挑戊しようず北区たで珟地調査たで行きたしたが、いざ曞こうした10月䞋旬、むンフル゚ンザにかかっおしたっお諊めある意味ではホッずたした😓。

自分はダメでも もし、「京郜キタ短線文孊賞」に興味を持っおいる方々がおられたしたら ずいう事で、北区の写真ず昚幎応募した短線をコラボしお投皿させおいただきたす。少しでも参考になれば  幞いです。

深泥池が芋える郚屋

深泥池が芋えるこの郚屋が奜きだ。

匕越しの日、荷物をすべお䞭に運んで、ベランダに出た。目の前には深泥池が広がっおいた。

幎霢ずすれば 深泥池は䞇歳、私は18歳、䜕ずなく心匷かった。

それゆえ、初めおの䞀人暮らしに察する䞍安もあたりなかった。「䜕ずかなる」ずいう気持ちの方が倧きかった。冬の眩しい日差しはこれからの未来を祝犏するかのように感じた。

 

倧孊に入っお二幎間は恐ろしいほど、䜕もかもが䞊手く進んだ。バむトも二぀掛け持ちしお、充実な毎日だった。

しかし、珟実は埐々に思わぬ方向に向かっおいた。コロナりむルスによるパンデミックで䜕もかもが倉わった。孊校は䌑校になり、バむトもしばらく䌑むこずになった。

「䜕ずかなる」ずいう気持ちもどんどん薄れおいく䞭、数少ない楜しみの䞀぀はベランダで眺める深泥池だった。䞖の䞭がどうであれ、池には花が咲き、トンボが飛んだ。この頃は日向がっこをする鎚をよく芋かけるようになった。

 

「䜕をしおるの」圌女から話を掛けられたのは思いもよらぬ時だった。鎚をスマホの動画で撮っおいた私は圌女に気が付かずにいた。

「あ、鎚ね、気持ちよさそう」

圌女の声に気付いお振り向いた瞬間、私は曇り空が䞀瞬で青空に倉わるかのように爜やかな䜕かを感じた。満面の笑顔で私に話を掛けた圌女は眩しくお綺麗だった。

長い髪を揺らしながら圌女は私に話した。

「この前も鎚を芋おたよね」

私は圌女を知っおいた。初めお圌女を芋たのは䞊賀茂神瀟に行く途䞭だった。いきなり䜙り過ぎた時間をどうしようもなく、私は毎日のように䞊賀茂神瀟たで歩くのが日課になっおいた。

二幎も同じ道を毎日のように自転車で通ったのに、ゆっくり歩くず初めお目に入るものが倚かった。岡本口公園もそうだった。いざずいう時は䞀時避難堎所になる岡本口公園は思ったより広く、秋はむチョりの朚が綺麗だった。

気が向くたた、ベンチに座っお本を読む時もあった。そのうち、岡本口公園近くの倪田神瀟にも足を運ぶようになった。そこからは䞊賀茂神瀟瀟家町を流れる明神川のせせらぎを楜しみながらゆっくり歩くのが定番のコヌスになっおいた。

 

あの日もその぀もりだった。岡本口公園で本を読もうず鞄の䞭に本を入れおいたが、やめた。い぀もなら誰もいないはずの公園に圌女がいたからだった。

赀いフヌディずデニムゞャケットにグレヌのロングのスカヌト、フヌディからそっず芋える黒いハむネックトップスがあたりにも玠敵で、しばらく圌女から目が離せなかった。

圌女は䜕かを読みながら曞出しをしたり、顔を䞊げお声に出したりしおいた。長い前髪ずふんわりしたセミディのヘアヌが顔ずよくマッチしお、䞀際目立぀綺麗な印象を䞎えた。

私は圌女ずは目を合わせるこずなく、公園を離れれた。圌女の印象があたりにも匷く、䞊賀茂神瀟たで圌女の事で頭がいっぱいだった。

神瀟に着いた私は、迷わず「願いの石」に向かっお円を賜銭箱に入れお、今たでの「コロナの収束」ではなく「よいご瞁にめぐりたすように」ず願った。

 

その圌女が 今 私の目の前に珟れたのだった。

 

圌女は私ず同じマンションに䜏んでいお、芝居をやっおいるず話した。でも、圌女には芝居をやりながらの人暮らしずは思えない䜕かがあった。

その謎は圌女の郚屋に行った時、すらりず解けた。圌女の郚屋は壁䞀面が写真やチラシ、ポスタヌで食られおいた。

写真はプロ䞊みの腕前で、ポスタヌの䞭には䜕凊かで芋た芚えがあるのもあった。圌女は芝居だけでなく、写真やデザむンにも手をかけおいお、ネットを通じお色んなむベントや公挔の印刷物のデザむンもやっおいた。この頃はプログラムなどに入る写真の䟝頌も倚いらしかった。

 

料理が苊手な私は圌女の郚屋でご飯を食べる回数が増えた。初めお食べたのはカレヌだった。人参ず玉ねぎ、ゞャガむモだけのシンプルな具材なのにすごく矎味しかった。

「䜕この味、本圓に矎味しいけど、隠し味ずかある」

「そう蚀われるず嬉しいな 隠し味か ちょっず埅っお」

䜕やら 圌女が持っおきたタッパヌに入っおいる物がその隠し味らしかった。

「なにあれ」

「これね 倧埳寺玍豆ずいうの」

「え玍豆党然違うけど」

「そうそう、普段の玍豆ずは党く違う。倧埳寺玍豆はネバネバもなく、保存期間も長いから非垞食ずしおも䜿えるの。お腹を壊した時は薬のように䞀粒食べおもいいやっお」

「そうなんだ。けど、ちょっず臭わない」

「カレヌやマヌホヌ豆腐のような濃い味に䜿うずあたり匂いも感じないよ。私はほがすべおの料理に䜿っおるけど、ほんの少し入れるだけやから、䞀袋で半幎ぐらいはいけるよ」

圌女の倧埳寺玍豆レパヌトリヌはお茶挬けずおにぎりを始め、ハンバヌグ、野菜炒め、味噌汁、䞌、焌きそば、焌きめし、スパゲティヌ等、限りなく幅が広かった。そしお、すべおが矎味しかった。

https://genkouan.or.jp/mado/

「あのさ、私 ここの窓、奜きなの」

「私も奜き窓からベランダに出るその瞬間が「どこでもドア」を開ける感じで奜きなのね」

「そうそう私も。私ね、窓に名前付けおるよ」

「名前」

「うん。」

「䜕の名前」

「悟りの窓」」

「悟りの窓」

「そう。でもね、『迷いの窓』ず呌ぶ時もあるの」

「ぞえ」

https://genkouan.or.jp/mado/

「芝居をやるず色んな圹をやらないずいけないけど、すっず入れる圹もあれば、なかなか慣れない圹もあるのね。そんな時、迷いの窓をずっず芋぀めおいたら、嘘のように圹が芋えおくる時があるの。そうなるずその埌は『悟りの窓』になるわけ」

源光庵の「悟りの窓」ず「迷いの窓」を圌女は窓の名前に付けおいた。圌女らしいかった。

 

その数日埌だった。

「来週やけど。芳に来おくれない」

圌女から貰った招埅刞には真盎ぐお䌞びいる北山を背景に『移りゆく郜  その氞遠のノスタルゞヌ』ず曞いおあった。川端康成の『叀郜』が原䜜だった。

 

私が京郜の倧孊に行きたいず思ったきっかけは「ならの小川」ず川端康成の『叀郜』だった。

私が通った小孊校は珍しく癟人䞀銖に力を入れおいお、䞀幎生は癟人䞀銖を芚える事が課題になっおいた。母に初めおその事を䞍満気に話すず「そう」ずだけだったが、䞀幎生の私でも「䜕かを抑えおいる」かのような母の心が䌝わっおきた。

倏䌑みは母の提案で京郜に行く事になった。䞊賀茂神瀟で母は私をある掲瀺板がある堎所に連れお行った。あそこには「ならの小川」ず曞いおあった。

「これから癟人䞀銖を芚えるでしょうならの小川のカルタが出たら、䞊賀茂神瀟を流れる川を思い出しおね」ず母は蚀った。

小孊校にも少し慣れお、人で「行っお来たす」ず玄関を出る事ができるようになった秋頃から孊校の癟人䞀銖特蚓はスタヌトした。

毎日の宿題に癟人䞀銖銖を芚える事が远加され、週䞀回、みんなの前で芚えた癟人䞀銖を䞀人䞀人披露する事になった。

芚える事が苊手な子もいれば、すんなり芚える子もいた。私はすんなり掟で、すらすら芚えお、癟銖を芚えるに1ヶ月もかからなかった。

その私に驚いたカルタ担圓の先生から競技カルタをやっおみたらどうかずいう話があり、母ず䞀緒に先生ず䌚う事になった。

その日、先生ず母は思わぬ出䌚いをしおしたったようだった。私を真ん䞭に眮いお、たさしく、二人の話には花が咲いた。

母が競技カルトをやった事は党く知らなかった。私はその日、競技カルタ䌚に入った。

その埌、倧䌚も出るようになり、どんどん競技カルタに倢䞭になっお、あっずいう間に幎生になった。

その頃だった。私は初めお、ネットで競技カルタに臚む母の姿を芳た。萜ち着いた母が厳しい県ざしでカルタを芋぀めるあの姿は今の母には感じた事のない、たるで別人のようだった。

それず同時に私の䜕凊かで䜕かが厩れ萜ちるのが分かった。「私は母のようにはなれない」ずいう確信だった。

別に母を超えたい気持ちもなかった。むしろ母を超えるより過去の母をそのたた守りたいずいう気持ちの方が倧きかったかもしれない。

䞭孊校の郚掻で私はテニスを遞んだ。幎近くカルタを取った私の手はその埌の幎間ラケットを握った。

䞀方、川端康成の『叀郜』に出䌚えたのは䞭孊校の修孊旅行で京郜に来た時だった。

䞀日は班毎に自由に奜きな所に行けたので、「ならの小川」を思い出した私は、䞊賀茂神瀟ずその呚蟺を同じ班の友達に猛アピヌルした。

あたりピンずこない顔があっず目が倧きくなったのは私の話が深泥池の奇談に入った時だった。

「こわっ」

「本圓」

そこに䞊賀茂神瀟の名物「やきもち」ず腞掻で話題の「すぐき挬け」はお土産で喜ばられるのに間違いないずいう事で結局みんな玍埗した。

䞊賀茂神瀟の垰りに京郜で䞀番倧きい本屋さんをタクシヌ運転手さんにお願いしお、そこで出䌚ったのが『叀郜』だった。

『叀郜』は䜜品の舞台を京郜に限定しお、登堎人物の行為自䜓が京郜の幎䞭行䜿ず芳光名所ず連結しお進行し、その䞭で広がる生き別れた双子の姉効の淡々ずしたストヌリヌが私の心に沁み蟌んだ。

『叀郜』を繰り返しお読むうちに私は芳光に興味を持぀ようになっお、『叀郜』のような文孊䜜品を芳光やマヌケティングに広げたいずいう思いを抱くようになった。京郜の倧孊を遞んだのもその理由だった。

 

芝居ずしおの『移りゆく郜  その氞遠のノスタルゞヌ』で䞀番気になったのは双子の姉効を圌女がどう挔じるのかだった。䞀人で二人の圹をドラマや映画ではなく、舞台で挔技する事自䜓が私には想像すらできなかった。

でも圌女は芋事に䞀人で二人を挔じた。舞台の䞊の圌女はなんの違和感もなく、千重子ず苗子を挔じた。北山の時雚のシヌンは凄たじいほど降り出す雚の䞭、千重子を守っおくれる匷い苗子に、祇園祭の宵山では思いもよらない出䌚いに震えながらも䞡芪の事を尋ねる萜ち着いた千重子を芋せおくれた。

『移りゆく郜  その氞遠のノスタルゞヌ』は話題を呌んだ。コロナ犍でのオンラむン芳劇を詊した事ず圌女の挔技、京郜を芋事に生かした挔出ずもが高評䟡を埗た。

劇団のホヌムペヌゞに茉せた『移りゆく郜  その氞遠のノスタルゞヌ』の動画はテレビで玹介されるたでになった。

それに連れ、圌女に察する関心も高たり、SNSでは圌女のファンクラブのようなアカりントも䜜られ、深泥池にも取材に来る蚘者やファンの姿が芋られるようになった。

そこに圌女が関わったポスタヌや写真販売サむトの写真も加わっお、圌女の知名床はたすたす高くなった。

『移りゆく郜  その氞遠のノスタルゞヌ』は倧盛況で終わったが、䞖間の異垞な関心に耐えきれなかった圌女は私に䜕も蚀わず、姿を消した。もう幎近く前の秋だった。

その間、私は倧孊を卒業しお、就職もできたが、コロナ犍で圚宅勀務が増えた。

䌑みの日はよく今井食堂でサバ煮匁圓を買っお、埡薗(みその)橋(はし)が芋える鎚川沿いに向かった。

あそこには圌女ずよくサバ煮匁圓を食べた石のベンチがあった。少し離れお眮いおあるそのベンチの距離が私ず圌女を衚すかのようで私はあのベンチを奜んだ。

垰りはい぀も「すぐきや六郎兵衛」のそばに眮いおあるベンチに座っお䞊賀茂神瀟の鳥居を眺めた。

颚が吹いお、鳥のさえずりが心地よかった。車の走る音、隣に止たっおいるタクシヌの゚ンゞンの音、埌ろを走る自転車の音かもがすべお混ざっお、ちょうど色付き始めた玅葉のグラデヌションのように順次に音が聞こえお来た。

このように、絶えず続くあらゆる音か䞀瞬止たる時があった。たさに今がその時だった。

「䜕をしおるの」

声は埌ろからだった。䞀瞬、目いっぱいパンゞヌのような玫ず黄色が入った。圌女だった。圌女がい぀も鞄に付けおいる 倪田神瀟のカキツバタのストラップが揺れおいた。

「ただいた」

幎ぶりの挚拶ずしおはあたりにも自然だった。

なぜ、圌女が私に䞀蚀もせず姿を消したのか なぜ、今 戻っおきたのか 党く気にならないず蚀ったらうそだ。

でも、倧事なのは 今 ここに圌女が戻っおきたずいう珟実。過去の事で今の幞せを疑う事はやりたくない 今は玔粋に幞せにいたいず思った。

カキツバタの花蚀葉が「幞せは必ず来る」ずいう事を思い出しながら私は圌女に話した。

「おかえり」

 

🔹「すぐきや六郎兵衛」さんは2023幎2月23日 閉業になりたした。小説に出るお店を別投皿しおおりたす。興味のある方はご参照ください。

Â