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あなたの知らない京都

古都を彩る舞台:自然と歴史が織りなす京都の葵祭

今日は4月の終わり、まだ春という気持ちもありますが、気温は既に夏を上回る日が続き、来週の5月6日頃は立夏…。桜の花びらの眩しさが未だに残っているものの、青もみじがきれいな季節になりました。

その青々しい京都を飾る祭が祇園祭と時代祭と並ぶ京都三大祭の一つ、葵祭です。コロナ禍で3年間中止になった葵祭ですが、昨年、4年ぶり行列(路頭の儀)が行われました。

今回の投稿は京都の三大祭の中でも一番歴史が古い葵祭をご紹介させていただきます。

葵祭

葵祭は上賀茂神社と下鴨神社の例祭で、正式名称は賀茂祭。平安京ができる前、自然災害などが続き作物ができなかった時、鈴をつけた馬を走らせ、五穀豊穣を祈ったのが始まりだそうです。葵祭という呼び名は,祭に葵(フタバアオイ)を多く用いた事に由来し,江戸時代以後、葵祭と呼ばれるようになりました。

一般に葵祭と呼ばれている行事は「路頭(ろとう)の儀」の事で、5つのグループから構成された総勢512名と馬36頭,牛4頭,牛車2台,腰輿(およよ)1基の行列で、午前10時半に京都御所建礼門前を出発し,下・上両社(各社到着後,社頭の儀が行われる)に向かう約8キロメートルの行程です。➞文化史 解説シート 26.葵祭

2024葵・葵祭の巡行コース

京都御所建礼門前(午前10時半)➞下鴨神社(11時30分頃)➞上賀茂神社(15時30分頃)

https://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000324468.html

有料観覧席

巡行コースの赤い部分は有料観覧席になります。ネットからも購入できますので、興味はあるかたはリンク先をご参照ください。➡京都市:「葵祭」路頭の儀 有料観覧席券の販売

✅上賀茂神社では当日観覧席の購入ができますので、ご参照ください。

葵祭・行列の構成

個人的には本列の牛車と風流傘が一番好きです😊

🔹本列

第一列 警護列(検非違使・山城使など)

第二列 幣物列(馬寮使・牛車など)

第三列 走馬列(舞人・近衛使代など)

第四列 勅使列(内蔵使など) 

🔹斎王列

第五列 斎王列

牛車

風流傘

2024・葵祭に伴う交通規制

https://www.pref.kyoto.jp/fukei/kotu/kisei_k/rinji_kisei/documents/aoimatsuri.pdf

✅詳しい内容はリンク先をご確認ください➡kiseijikan01.pdf 

フタバアオイ

🔹葵祭に使われているフタバアオイは下鴨神社と上賀茂神社の境内でも育てられています。

葵祭でフタバアオイを探すのも楽しいかもしれません。

希少植物の自宅育成

京都市では2022年から講習会を受けた上で、フタアオイとヒオウギなど希少植物を自宅で育つ事ができるようになりました。(京都市内在の個人のみ)
 
✅希少植物の自宅育成にご興味のある方はリンク先をご確認ください➡R6育成の手引き+.pdf (kyoto.lg.jp)

葵祭の主な神事

流鏑馬(やぶさめ)

古くは騎射と呼ばれた流鏑馬は馬を疾走させて神をもてなし、和ませる神事。 その伝統を今に伝えて下鴨神社の流鏑馬は古式ゆかしく公家の作法と装束にて下鴨神社の馬場にて五月三日に行われます。(当日観覧席:3000円)


 

賀茂競馬(くらべうま)

 2頭の馬を競わせて天下太平と五穀豊穣(ほうじょう)を祈る神事である賀茂競馬は今年で930年を迎えました。あの織田信長も自分の馬を出して観覧したようです。今年は5月5日、上賀茂神社で行われました。

昨年2月23日をもって廃業した『すぐきや六郎兵衛』さんの手提げバッグには賀茂競馬の様子が描かれています。
御蔭祭(みかげまつり)

御蔭山で新しくお生まれになった神の御魂を下鴨神社本殿にお迎えする御蔭祭は古代祭祀のおもかげを残す葵祭の始原の姿。その伝統を今に伝えて上高野の御蔭山と下鴨神社の切芝にて五月十二日に行われます。

葵祭の観覧スポット

京都新聞によると、葵祭の最適の観覧スポットは、京都御苑(京都市上京区)です。私は葵祭を下鴨神社でしか見た事がないですが、午前だと下鴨神社、午後は鴨川沿いの加茂街道もお勧めだそうです。

kyotostory🌸おすすめの観覧スポット&観光スポット

kyotostory🌸のおすすめの観覧スポットは御園橋周辺です。御園橋は葵祭の行列が上賀茂神社に進むための最後の橋になります。

御薗橋(みそのばし)は上賀茂神社の出前にある橋の名前で、葵祭の巡行経路の最後を飾る「神聖な橋」として知られるています。➞京都検定にも出題されていますので、京都検定を準備している方は要チェックです!御薗橋はもともとは葵祭の勅使を通すため臨時に架けられた橋で、祭礼が終わるとその都度破却、撤去していたようです。その後、江戸時代に常設されるも、水害により橋が流れるなどの試練を経て、今に至っています。今の御薗橋2021年(令和3年)に架け替えた橋で、公用が始まったのは2021年6月29日なので、かなり綺麗です。

上賀茂神社周辺の観光スポット

少し早めに上賀茂神社について、上賀茂神社周辺の観光はいかがですか?

大田神社

大田神社のかきつばたは例年葵祭の時期が見頃と言われますが、昨年の場合開花が早く16日は見ごろを過ぎていました。

深泥池

タクシー奇談として知られる深泥池。私も公園で不思議な体験をしたわけですが、それ以外は穏やかで心落ち着く場所でした。

深泥池には白いカキツバタと黄色いカキツバタ?が咲いていました。

すぐき漬け・京都なり田

『すぐきや六郎兵衛』さんが廃業してしまったので、「京都なり田」さんに寄りました。初めてでしたが、とても綺麗なお店で、ユニークな漬物も置いてありますので、葵祭の後、寄ってみてください。

文学の中の葵祭

『古都』の中の葵祭

『古都』の中で川端康成は次のように葵祭について書いています。

平安王朝の昔から、京都では、山といえば比叡山、祭りといえば、賀茂の祭りであったらしい。 五月十五日の、その葵祭りもすぎた 。葵祭りの勅使の列に、斎王の列が加えられるようになったのは、昭和三十一年からである。斎院にこもる前に、加茂川で身をきよめる、古式を生かしたものであるが、興に乗った、小桂(ころちぎ)すがたの命婦(みょうぶ)を先に、女婦(にょじゅ)童女らをしたがえ、伶人に楽を奏させ、斎王は十二ひとえの姿で、牛車に乗って渡る。その装いのせいの上に、斎王は女子大学生ぐらいの年ごろであるから、みやびたうちにも花やかである。(『古都』1961年11月13日・朝日新聞)

葵祭の 斎王は数千万円と言われる費用を負担できる事が条件となっているようで一般公募ではなく推薦などで決められるらしいです。『古都』の中ではヒロイン千重子の「学校友たちにも、この斎王にえらばれた娘があっ」て「その時は、千重子たちも賀茂の堤へ、行列を観に行った」と書かれています。

でも、運命の出会いがあるその年、千重子は雨が多かった事もあって、葵祭は見逃してしまい、その代わり、高尾の新録を見に行っては北山杉まで足を運ぶのですが…。

川端康成は「北山杉」で華やかな葵祭を先頭に置き、葵祭には、あえて千重子を入れず、高尾と北山杉を詳しく書いています。そして、その日、北山杉の苗子に重みを置く事でその後の「祇園祭」での二人の再会をほのめかす様にも考えられます。

このように、『古都』の中で葵祭は表に出す事はなく、触るだけになりますが、祇園祭と時代祭は物語の流れに大きな転機をもたらせます。

『源氏物語』の中の「葵祭」

源氏物語の中にも葵祭が登場します。その中で広く知られているのが…いわば「車争い」です。「車争い」は葵祭の当日ではなく、葵祭の関連儀式である斎院御禊(さいいんぎょけい)の日の事だそうです。

車争いで深く傷ついた御息所の怨念はやがて生霊になって葵の上にとりつく事になります。

✅ちょっと長いですが、『源氏物語』の中の「葵祭」を載せます。

車のこみ合う中へ幾つかの左大臣家の車が続いて出て来たので、どこへ見物の場所を取ろうかと迷うばかりであった。

(中略)

見物するのをやめて帰ろうとしたが、他の車を避よけて出て行くことは困難でできそうもない。そのうちに、「見えて来た」と言う声がした。行列をいうのである。それを聞くと、さすがに恨めしい人の姿が待たれるというのも恋する人の弱さではなかろうか。源氏は御息所の来ていることなどは少しも気がつかないのであるから、振り返ってみるはずもない。気の毒な御息所である。➡紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 葵 (aozora.gr.jp)

『枕草子』&「葵祭」

葵祭は『枕草子』(41段)にも描かれていています。鳥に関する長い内容が続いては、「祭のかへさ見るとて」と葵祭の事が出てきます。祭とは賀茂祭の事で、清少納言が待っていたのは葵祭の翌日、斎王が斎院に帰る行列だったそうです。
 
清少納言が葵祭の斎王列を待っていた場所は紫野の辺りの雲林院といいます。今は大徳寺の塔頭になった雲林院ですが、一時期は広い敷地を誇る天台宗の寺院で菩提講で名高いお寺だったと云います。
 
雲林院に関しては別の投稿で書いておりますので、ご興味のある方はご参照ください。

上賀茂限定朱印

当日、上賀茂神社で頂けます(1000円)

京都思い出図鑑・葵祭

葵祭・20230516

昨年は天気の影響で5月16日に葵祭が行われました。

上賀茂神社

上賀茂神社では芝生の上に拝観席の準備が行われていました。(一人1,000円)

昨年は神馬が出勤?しておられていたので、人参の餌をあげて、写真も撮っていただけました。

上賀茂神社・動画

下鴨神社

下鴨神社のバス停から降りて進むと、何と、中に入れない!ロープで進入禁止になっていました。これはおかしいと思って、糺の森に行くと、糺の森からは自由に入る事ができました。その仕組みがよく分からなかったですが、葵祭に行かれる際は糺の森のバス停から進んだ方がいいかと思います。

ここから中に入る事ができませんでした。糺の森バス停からは自由に入る事ができます。真っ先に目に入るのは葵祭の記念切手仮説販売所でした。郵便局に行くとつい買ってしまう切手シート。因みに、一番の気に入りは星の王子さま切手です😊

境内には屋台がたくさん並んでいて、美味しい匂いが漂っています…。

糺の森…この時期は青もみじがとても綺麗です。

行列が下鴨神社を出発するのは2時20分頃、時間が間に合わず、河合神社だけ寄って帰ろうとした時、『走馬の儀』のアナウンスが流れ、運がよくいい場所で見る事ができました。

馬が走ってくると、周りの方々がお疲れさまと優しい声で馬に話しかけてくださるのも祭ならではの風景でした。

河合神社

ユニックな鏡絵馬(手鏡の形をした絵馬)で知られる河合神社。鏡絵馬とは表には普段使っている化粧品などでメイクをして、裏面に願い事を書くという特々の絵馬の事で、並んでいる絵馬を見るとその個性的な面々に見入ってしまいます😊

河合神社は下鴨神社の摂社として古くより祀られ、女性守護としての信仰を集めるお社である。ご祭神には神武天皇の母、玉依姫命をお祀りし、玉依姫命は玉の様に美しい事から美麗の神としての信仰も深い。河合神社ではこの美麗の祈願絵馬として鏡絵馬の授与を行っている。➞お祓いのお社 | 下鴨神社 

河合神社には鏡絵馬のための化粧室があります。

とても暑かったので、冷たいお水で助かりました。値段は120円?だったと思います。葵祭に行かれる方々、くれぐれも熱中症にお気を付けください。

葵祭・20190515

京都の人は意外に金閣寺や清水寺などに行かないという「京都あるある」があります。「京都のあらゆる神社やお寺がバスでいつでも行けるさかい😅わざわざ、今!行かなくでもええと…」という考えが京都人にはあるようです。実際、私の知っている京生まれ育ちのママさんの中でも「え!行った事ないの?」と驚くほど観光地に足を運んで事がありました。ある意味…「今度に回す神社とお寺」がたくさんあるのですが、私には葵祭がそうでした。

祗園囃子が好きで祇園祭にはよく行きましたが(自分の好みというのもあります😊)葵祭は京都に来て10年以上過ぎても行こうと思った事がありません。いや、そろそろ葵祭かな?と思ったら、過ぎてしまったりすることが多かったです。

葵祭も祇園祭のように5月の一か月間行われるのですが、祇園祭のような宵(宵宵)山がないのも見逃しやすい理由だったのかもしれません。

そんな中、5年前…。仲良しママさんのお誘いでやっと行く事ができました。当時の待ち合わせ場所は畑。朝の水やりを終えて…一緒に下鴨神社へ向かいました(^///^)

下鴨神社は早くも祭モード。たくさんの人で賑やかでした。
 京都思い出図鑑
祭を待ちながらの楽しみ。おそらく境内で購入したと思います。
 そろそろ、祭を見るための場所探し。大勢の人に場所探しにもひと苦労でしたが、何とか場所を取って…待っていると、近くにはシートを敷いてわくわくしながら待っている幼稚園の園児らや一人でスマホを眺める年配の方、立派なカメラをもって木の後ろで慣れたしぐさで行列を待つ方々も…。幼稚園のお出かけ先が葵祭というのも京都ならではの事…さすがです。
京都思い出図鑑
祭りの行列が来た!と感じたのは…前の人波から伝わってくる…静かに広がる騒めき…からでした。待つ人も一つの心になるのも祭りの楽しみの一つ…。
神社の境内での祭りは時代祭とはまた違って…行列が始まると周りは一瞬タイムスリップしたような空気が漂っていました。

葵祭2023・京都新聞

番外編・松尾の葵祭

『葵祭』と言えば、賀茂神社の『葵祭』と思われる方も多いと思いますが、松尾大社の松尾祭も本殿、楼門、社殿、各御旅所の本殿を含め、祭に使われる様々なものを葵と桂で飾る事で、古くから「葵祭」とも言われてきました。(松尾祭・神幸祭(おいで)・還幸祭(おかえり

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