朝ドラはご覧になりますか?
私はあまり…いや、この頃は全然…観てないのですが、昨日、偶々…テレビをつけたら朝ドラが流れていて、その内容が「才能が無いのに続ける事に意味はあるのか?」という議論になっていたので、思わず釘付けに…なりました😅
この前、たった7人が応募した文学賞の一次予選で二人に入る事さえできず、落選したもんで…100篇以上の応募作なら、真の中身も読まれずにゴミ箱に投げられたと微かな希望でも残るかもしれませんが、さすが…応募作が7編だけだと、せめて数ページは審査員の目を通してからの落選だと思うと、ずばり…才能なし!との事に違いない…。
ここでもう書くのをやめようとやめちゃったらいいのに、また、今になって、書きたい気持ちに覆われている自分がいて、その迷いの真っ最中で出会ったあのセリフはまさに自分に向けられているようでした。
(おそらく出版社に)送っても何の返事も貰えないお父さんのその小説に対する熱情が娘には「病」としか映されないという現実。しかし、そのお父さんのセリフがまた素晴らしかったのです。
「たとえ、才能なんかないとしても、続けられるのってすごいと思わないのか!」セリフが少し異なると思いますが、お父さんが発したセリフはこのように私には感じられました。もちろん、そんな、時間の無駄使いに過ぎないと思う人もおられるでしょうが…せめて、私にはある意味、希望の光のようなセリフでした。
そのセリフで、「才能…とは何か」というテーマを私のような才能なしの者に向けて暖かく応援してくれた映画が浮かびました。その映画とは「羊と鋼の森」。
将来の夢を持っていなかった主人公・外村は、高校でピアノ調律師・板鳥に出会う。彼が調律したその音に、生まれ故郷と同じ森の匂いを感じた外村は、調律の世界に魅せられ、果てしなく深く遠い森のようなその世界に、足を踏み入れる。ときに迷いながらも、先輩調律師・柳やピアノに関わる多くの人に支えられ、磨かれて、外村は調律師として、人として、逞しく成長していく。そして、ピアニストの姉妹・和音と由仁との出会いが、【才能】に悩む外村の人生を変えることに―。(C)2018「羊と鋼の森」製作委員会
✅「羊と鋼の森」、もう一回、観たいなと思ったら、今はPrime対象外でした。
観たのは数年前。ですが、とても印象的な映画でした。ピアノに興味がない方にもおすすめです。
映画の後半部にはこのようなセリフが出ます。
…諦めない気持ちを続けることが、才能なんじゃないかな…。』
才能って…「生まれ付きの特別な何か」と思いがちですが、「ものすごく好き」という気持ちだとすれば、ものすごく好きな何かを持てれば、誰だって才能あり?と。でも「諦めない気持ちを続ける」ところで大体の人はアウト💧
別投稿している今月まで募集中の「京都キタ短編文学賞」…さすかに今からは無理だと90%以上「アウト」でしたが、「たとえ、才能なんかないとしても、続けられるのってすごくないのか!」というそのセリフで…一時期、「続ける才能」にかけてみよう!と思うようになりましたが、やっぱり続ける事ができるという事は才能を伴うという事だろうと…気づきました。
✅「京都キタ短編文学賞」に関して興味がある方はご参照ください。
続ける才能!やはり、私はアウトでしたが…黙々と続ける力を持ちの方々、応援致します!