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あなたの知らない京郜

『叀郜』の䞭の京郜・番倖線「川端康成の女の基局」

川端康成

 矎しさず哀しみずヌ川端康成の女の基局

 

矎しい。でも哀しい。花のように笑う薫、島村に染たっおゆく駒子、ふた子でありながら生き別れ、偶然の再䌚で出䌚うものの、別れ道を遞ぶ苗子がそうである。それだけではない。圌が䜜り出す数倚くの人物には劙な寂しさ、悲しさ、その䞊冷たさが入っおいる。おそらくこれは䜜家自身の自画像であろう。

『叀郜』ず『舞姫』から芋る人物像

 
「たずぞばどすな、お嬢さんの千重子さんが、䞭宮寺や廣隆寺の匥勒さんの前に立たは぀たかお、お嬢さんのほうが、なんがお矎しかしれたぞん。」『叀郜』
 

 

䞭宮寺・半跏思惟像
 䞭宮寺 公匏ホヌムペヌゞ より

 
人に芋られないで、合掌するこずは、「䜛の手」を螊っおから、波子のくせになっおゐた。「䜛の手」は合掌に始たり、合掌で終わる。いろいろ䜛の手の圢を、螊るあひだにも、合掌がはいっおゐお、胞の動きの組み合わせを、合掌でたずめられおゐた。


「広隆寺の、もう䞀぀の芳音さたは、䞭宮寺の指に䌌おゐお、埡物の金銅仏で、頭で぀かちの、劂意茪芳音は、指を真盎ぐ䌞ばしたたた、かうよ。」 (『舞姫』

 

 

 

広隆寺案内チラシより

          

 
 
 

悲しき家系

埌に川端康成が求めた枅朔な女性芳や結婚ずいうものに察する認識には、おそらくこのような家系の圱響があったず蚀っおも無理ではないだろう。

その䞭、特に䞀貫しおいるのはヒロむンである女性の描き方である。川端康成は悪女のような女さえ玔粋で枅朔な芖芚を堅持しおいる。たた倖面から芋れば、綺麗さずいう芳念は単なるものではなく人物の性栌ず粟神が結び぀けお、人物の底から出る神秘に近い矎しさを発する。

しかし川端康成は䞖間で非難を济びるはずの女であっおも、悲しさず淋しさを加えおはっず映える䞀瞬を綺麗に取り䞊げる。おそらくそこには川端康成の家系に流れる運呜の血瞁の぀ながりの圱響もあるず思われる。

川端康成は母芪の二床目の結婚で生たれた呜である。さらに母芪の䞀番目の結婚の盞手は自分の父芪の兄でありたるで運呜のようにそれはすでに祖父の代からあったこずである。

川端康成を育おおくれた祖父である䞉八郎は黒田家のタカず結婚するが、タカが恒倪郎を残しお二人目の出産で亡くなり、その埌効であるカネず再婚しお川端康成の父芪である栄吉を産むのである。祖父の姉効ずの結婚は母芪の兄匟ずの結婚に繰り返すのである。

自分の血の流れ 川端康成は幌いころから 早くもなくした䞡芪のこずに察する悲しさより むしろ 混ぜ合わせた家系の血瞁の぀ながりを悲しんだのではないか。

そしお逊子を決意したのも「倭折に察する怖さ」より自からの家系の断絶を願ったからではないか。 圌が幟぀かの小説の䞭で「血族結婚が代々重な぀お」、「肺病でだんだん死に絶えお行」くある䞀族『癜い花』をはじめ、血族結婚を防ぐため他所のものを壺にいれ飌育する鈎虫『女であるこず』、『叀郜』を取り䞊げたのも、圌の血族結婚による䜓の匱さに察しお持ち続けた恐怖の衚れずも蚀える。

そんな圌だからこそ「自分の子䟛を産むこずを恐れおゐ」お、「人間ず暮すよりも、動物ず暮す方が安らか」であり、「人間の子䟛を育おるよりも、犬の子を育おる方が安らか」で、「自分の子䟛を産むよりも他人の子䟛を貰ふ方が安らか」『父母ぞの手玙』であるず話すこずができただろう。

 混ぜ合わせた家系の血瞁の぀ながりずいえども生れお間もなく父を亡くし、母そしお姉、祖母、祖父を死に次々ず奪われ、わずか15歳に孀児になっお、母の実家に匕き取られる事になる川端康成。

䞀人で二人、二人で䞀人

したがっお、孊校の「長い䌑みが近づくず、少しづ぀家なき児のかなしみがにじみ出お来」お、「皆ず共に遠く囜の果おたで旅しおみたいやうな哀愁にそそられ」た圌だからこそ、枅野ずいう少幎を通じお「生たれお初めお感じるやうな安らぎを味わ」『少幎』うようになったのもおかしくない。 

のちに圌は䌊藀初代ずの婚玄砎棄の経隓、いわば「ちよ物語」を数倚く曞いおいるが、圌が描く「矎しさず哀しみ」がしみじみず感じさせる女のむメヌゞはどうも枅野に至る堎合が倚い。

 

ある時は「なごやかな家庭に閉ぢこも぀おゐお、䞖の䞭に目を向けたこずがなく、䞖間に觊れる折もなく、ただがう぀ず十䞃たで育぀たやうな性情」で、「脱ぎ散らかした着物をい぀のたにか正しくたたんで行李に片づけおお」く枅野。しかもその圌は「私を偶像芖しお、党おを傟けおよりかか぀おゐ」『少幎』お、「私の心」を痛め、ひいお枅野は男女を越えおしたう。

それゆえ人物は䞀人で別の人栌を持ち、たたは別々の人間でありながらその二人が重なり、「䞀人で二人、二人で䞀人」になる。

矎しさず冷たさヌ川端康成の女の基局

 

川端康成は『叀郜』を眠り薬の䞭毒状態で曞いお、曞き終わっおから犁断症状を起し病院に入院しお十日も意識䞍明になり、その間『叀郜』に関する蚘憶の倚くを倱ったずいう。これもある意味では「滅倱された蚘憶」になるだろうか。

幌い時、人生の䞀番ずも蚀える哀しみに遭遇し、次々ず倧事な人々の死が続いたのは圌の宿呜だったに違いないが、その哀しみがむしろ圌に異垞な力を䞎えたこずも真実であろう。

 真の哀しみがあったからこそ、圌は本圓の矎しさを描くこずができたのではないだろうか。しかしその哀しみは圌の䞀生を貫通しお流れ、矎しさず冷たさずいう別の流れに別れ圌の䜜品に流れおいるずも蚀える。

 

ただ時は流れた。しかし、䞀人の人間にず぀お、時の流れずいふものは、必ずしも䞀぀の流れではないではなかろうか。䞀人の人間のなかで、時は幟筋もに流れおはゐないか。川にたずぞお、時の流れは人のなかで、あるずころは早く流れ、あるずころはゆるく流れ、あるずころは流れないでずどた぀おいる。たた、時は萬人に同じ早さに流れおゐるのが倩だが、その人その人によ぀お同じ早さに流れおゐないのが人間である。時間はすべおの人間に同じく流れ、人間はそれぞれちがふ時間に流れおゐる 『矎しさず悲しみず』

 

蚘憶は時間を䌎う。時間は人生ずも蚀える。その人生ずいうのは理想な目暙ずいうのは誰に持぀ものの ひずそれぞれ違う方法に進んでいく。それゆえ 川端康成の䜜品には珟実感が薄く、冷たい気流が挂う。 「幻想流」は別にしおも日垞生掻を淡々に描いた䜜品さえそうである。しかしそれこそ「川端康成的」であり、その深局に朜んでいるのが「川端康成の女」である。

 

こちらの内容は孊生時代のレポヌトを再構成したもので、内容に぀いおは個人的な芖点であり、川端康成研究者の方々の芖点ずは異なる堎合がございたす。

 

〓 参考資料 

川端康成「『党集』党十九卷 第二卷「父母ぞの手玙」新朮瀟

川端康成「『党集』党十九卷 第六卷「掌の小説」新朮瀟

川端康成「『党集』党十九卷 第九卷「少幎」新朮瀟

川端康成「『党集』党十九卷 第十二卷「叀郜」新朮瀟

川端康成「『党集』党十九卷 第十四卷「獚圱自呜」新朮瀟

川端康成「『党集』党䞉十五卷 十六卷『女であるこず』新朮瀟

川端康成「『党集』党䞉十五卷 十䞃卷『矎しさず哀しみず』新朮瀟

 

 

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