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あなたの知らない京都

源氏物語ゆかりの地、雲林院の魅力とアクセス

大河ドラマ『光る君へ』の放送が始まり、第1話である今日の放送ではドラマのゆかりの地として平安神宮と紫野が登場しました。(➡大河ドラマ「光る君へ」紀行①)紫野は紫式部が生まれ育ったと伝われる地で、京都市北区の地名です。その紫野にある雲林院は源氏物語ゆかりの地でも知られています。

今回の投稿は雲林院をご紹介させていただきます。

雲林院

雲林院は京都市北区紫野にある臨済宗の寺院で、かつての雲林院は広大な敷地を誇る天台宗の寺院で菩提講で名高いお寺でした。一方で、桜や紅葉の名所としても知られ、歌盛大な歌舞の宴も行われたと云います。

しかし、鎌倉時代に入って衰退し、その後、大徳寺の塔頭となるものの応仁の乱により廃絶、現在の雲林院は1707年にかつての寺名を踏襲し、再建されました。

雲林院・境内

そこまで広いとは言えない境内には手水舎が人を迎え、その近くに十一面千手観音菩薩を祀る観音堂があります。

雲林院・けいとうの花

秋の雲林院には彼岸花を始め色んな花が咲いていましたが、その中でもけいとうの花が綺麗でした。

ケイトウの学名は「燃焼という意味のギリシャ語に由来する」と言われますが、まさにその赤は目眩しいものでした。紫式部の燃えきれなかったその情熱が今になってケイトウに移り込んだのでしょうか。

源氏物語・雲林院

雲林院は「源氏物語」を始め、「枕草子」「伊勢物語」にもその名が登場する事から、平安時代にもその名が広く知られていた事が分かります。

源氏物語・「賢木」

六条御息所が伊勢に下り、源氏のお父さんである桐壺院が他界、藤壺に対する心が止まらなくなる源氏、しかし、藤壺は源氏を受け入れる事ができず、出家してしまいます。その状況が源氏物語の第10帖「賢木」に書かれています。

源氏は中宮を恋しく思いながらも、どんなに御自身が冷酷であったかを反省おさせする気で引きこもっていたが、こうしていればいるほど見苦しいほど恋しかった。この気持ちを紛らそうとして、ついでに秋の花野もながめがてらに雲林院へ行った。➡紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 榊 (aozora.gr.jp)

✅源氏物語の「賢木」で登場する野宮神社は別の投稿で書いておりますので、興味がある方はご参照ください。

雲林院・アクセス

雲林院は京都市バスの「大徳寺前」から歩いてすぐ行ける距離です。

➡京都市バス時刻表:大徳寺前 (kyoto.lg.jp)

交番から近くの横断歩道を渡って進むとすぐになります。

信号の向こう側が雲林院です。

【番外編】枕草子・雲林院

雲林院は清少納言の『枕草子』にも登場します。清少納言も『光る君へ』の登場人物。同じ時代を共に生きた彼女たちはそれぞれの「マイ雲林院」を自分の物語に入れたとも言えます。
 
清少納言が『枕草子』で雲林院を入れたのは41段。(韓国語訳版では38段になります)

…祭のかへさ見るとて、雲林院・知足院などのまへに車を立てたれば、ほととぎすもしのばぬにやあらん、なくに、いとようまねび似せて、木だかき木どもの中に、もろ聲になきたるこそ、さすがにをかしけれ。

清少納言が賀茂祭(葵祭)の帰りを待っていたのは紫野の辺りだったと云います。祭の帰りを待つとわくわくしますね。そのワクワクを音に出すかのようにほととぎすが泣くとウグイスまでが泣き始める。ここから続くのは祭の事ではなく、ほととぎすの事。清少納言はほととぎすが大好きだったようです😅
 
さて、清少納言はなぜ紫野で賀茂祭の帰りを待っていたのでしょうか。その理由は斎王の住まいである斎院が紫野のあたりにだったからです。
 
斎王には伊勢の斎王を斎宮、賀茂の斎王を斎院といい、斎宮の住まいは斎宮、斎院の住まいは斎院となっていました。斎宮はその当時の位置が分かっていますが、斎院は大徳寺の北東あたり等の説があるだけで、確かな位置は判っていません。(岩波ジュニア新書 『文学でめぐる京都』を参考にさせていただきました。)

【番外編】平安神宮・時代祭