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あなたの知らない京都

京都の中の『古都』・祇園祭

 

祇園祭・20070715
 
3年ぶり開催が決まった祇園祭。今回の投稿では「京都の中の『古都』・祇園祭」についてご紹介いたします。
 
まず、『古都』連載の四日前に朝日新聞に載せられた「『古都』作者の言葉」をご覧ください。
 

「古都」とは、もちろん、京都のことです。ここしばらく私は日本の「ふるさと」をたずねるような小説を書い たいと思っています。( 中略) とにかく京都とその周辺を書いてみます。 人物や物語よりも風物が主になるかもしれません。ところが私は京都をよく知りません。準備や調査もゆきとどいていません。したがって、どんな作品になるのやら、見通しもついていません。新聞小説として不適当なものになるおそれは多分にありますが、その点はあらかじめおゆるしを願っておきます。また「古都」は「古都序曲」あるいは「古都序章」とするべきなのでしょう。(川端康成 『古都』作者の言葉・朝日新聞・19611004)

 
川端康成は『古都』を書く前『虹いくたび』、『日も月も』、『眠れる美女』、『美し
と哀しみと』などの様々な作品で…既に京都を取り上げていましたが、『古都』は「作者の言葉 」通り<風物より人物や物語が主になる>作品に仕上がりました。
 
「私は戰後の自分の命を餘生 とし、餘生は自分のものではなく、日本の美の傳統のあらはれであるといふ風に思つ て不自然を感じない」  彼にとって「古都」とは迷うこともなく「京都」であり、彼なりに戦後の『京都』を「日本の美」として作品 に取り上げたことが分かります。
 
「いつかは私も私の『源氏物語』を書いてみたい」 と願 った川端康成は『古都』を書くにあたって、 「私の『源氏物語』」をまたも心に封印し <京都が主役、物語はワキ役>にして書くことにしたのではないでしょうか。
 
しかも「京都とその周辺」という設定は言うまでもなく浮かび上がってくるのがあります。それは…『洛中洛外図』です。

<1500年代の京都>を描いたのが『洛中洛外図』とすれば、<1960年代の京都>を描いた『古都』は <洛中洛外図式物語>とも言えるでしょう。

 
そして…ここで注目したいのが「祇園祭です。 祇園祭は『洛中洛外図』の右隻に描かれています。 その「祇園祭」、殊に宵山が『古都』に<一大変革>をもたらすのです。 

短夜を照らす提灯と闇の明かりで響く祇園囃子宵山はまさに<真夏の夢幻 >そのものであり、だからこそ通俗的とも言えるでしょう。しかし、その宵山で生れて別れたふた子である千重子と 苗子の偶然の出会い、また千重子と間違った秀男と苗子の出会い、さらに新しく登場 する竜介と千重子の出会い、そのほぼ同時に重なる出会いが通俗どころか運命的であり 必然的で、美しい上に哀れをさえ感じさせます。

「京都は日本のふるさとだが、私のふるさとでもある。(中略)私は京の王朝 の文學を『搖籃』としたとともに、京の自然のこまやかさを『搖藍』として育ったの であった」彼にとって「京都」は「やはり日本に一つの古都で、日本のふるさと」であったに違いありません。
 
 川端康成は『古都』の連載にあたって,その「日本のふるさと」に「洛中洛外図の」の金雲のようなオーラを加え、 仙界ともまたは心の「ふるさと」とも言える「京都」を人々の心に伝えたかったのではないでしょうか。
「こまやかな愛情とやさしい姿容の山に抱きつつまれた」数え切れない人々 の憧れの「京都という特権的な風土」に接近して、<夢のような金雲の中の 京都>を描写した『洛中洛外図』を…その京都に捧げるオマージュとすれば、川端康成 の『古都』は極めて純粋で「特別の聖なる都のオーラ」に捧げるオマージュ とも言えます。
しかし…そのオマージュが眠り薬によって書かれたという事はどういうこ となのでしょうか。
 
だからこそ..........祇園祭が導く<真夏の夢幻 >は『古都』のミステリアスな展開に…なくてはならない存在なのです。
参考資料
川端康成「『古都』・作者の言葉」
川端康成川端康成全集』全十九巻 第十四卷 (新潮社 )
川端康成川端康成全集』全三十五卷 第二十八卷(新潮社 )
大久保喬樹川端康成―美しい日本の私―』(ミネルヴァ書房
米沢市上杉博物館『国宝上杉本洛中洛外図』(米沢市上杉博物館
しばらく…祇園祭の投稿が続きますが…よろしくお願いいたします(^///^)