と哀しみと』などの様々な作品で…既に京都を取り上げていましたが、『古都』は「作者の言葉 」通り<風物より人物や物語が主になる>作品に仕上がりました。
「私は戰後の自分の命を餘生 とし、餘生は自分のものではなく、日本の美の傳統のあらはれであるといふ風に思つ て不自然を感じない」 彼にとって「古都」とは迷うこともなく「京都」であり、彼なりに戦後の『京都』を「日本の美」として作品 に取り上げたことが分かります。
「いつかは私も私の『源氏物語』を書いてみたい」 と願 った川端康成は『古都』を書くにあたって、 「私の『源氏物語』」をまたも心に封印し <京都が主役、物語はワキ役>にして書くことにしたのではないでしょうか。
しかも「京都とその周辺」という設定は言うまでもなく浮かび上がってくるのがあります。それは…『洛中洛外図』です。
<1500年代の京都>を描いたのが『洛中洛外図』とすれば、<1960年代の京都>を描いた『古都』は <洛中洛外図式物語>とも言えるでしょう。
「京都は日本のふるさとだが、私のふるさとでもある。( 中略)私は京の王朝 の文學を『搖籃』としたとともに、京の自然のこまやかさを『 搖藍』として育ったの であった」彼にとって「京都」は「やはり日本に一つの古都で、 日本のふるさと」であったに違いありません。
川端康成は『古都』の連載にあたって,その「日本のふるさと」に「洛中洛外図の」の金雲のようなオーラを加え、 仙界ともまたは心の「ふるさと」とも言える「京都」を人々の心に伝えたかったのではないでしょうか。
「こまやかな愛情とやさしい姿容の山に抱きつつまれた」数え切れない人々 の憧れの「京都という特権的な風土」に接近して、<夢のような金雲の中の 京都>を描写した『洛中洛外図』を…その京都に捧げるオマージュとすれば、川端康成 の『古都』は極めて純粋で「特別の聖なる都のオーラ」に捧げるオマージュ とも言えます。