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あなたの知らない京郜

『叀郜』の䞭の京郜ヌ祇園祭『叀郜』を䞭心に

 

『叀郜』の䜜者である川端康成は䜜品の䞭で祇園祭に぀いお次のように説明しおいたす。

祇園祭は、䞃月十䞃日の山鉟巡行の䞀日ず、遠い地方からの芋物の人たちは、思いがちで あるかもしれない。せいぜい、十六日倜の宵山に来る。 
しかし、祇園祭のじっさいの祭事は、たず䞃月いっぱい぀づいおいるのである。
䞃月䞀日にそれぞれの山鉟町で、「吉笊入り」、そしお、はやしがはじたる。

生き皚児の乗る、長刀鉟は、毎幎、巡行の先頭であるが、そのほかの山鉟の順序を決めるのに、䞃月二日か䞉日、垂長によっお、くじ取り匏が行われる。 
鉟は前の日あたりにたおるが、䞃月十日の「埡茿掗い」が、祭りの本序であろうか。鎚川の 四条倧橋で、埡茿を掗う。 掗うずいっおも、神官がさかきを氎にひたしお、埡茿にそそぐ だけである。
そしお、十䞀日には、皚児が祇園瀟にたいる。長刀鉟に乗る皚児である。

『叀郜』は昭和36幎(1961幎10月8日から昭和37幎(1962幎1月27日たで、107回にわたっお連茉されたした。『叀郜』は党章で構成されおいお、祇園祭は107回の䞭で13回を占めおいたす。

 

幎代の祇園祭の動画をみ぀けたしたので、ご玹介いたしたす。『叀郜』が曞かれた時期ずそこたで差がなので、圓時の雰囲気を感じる事ができたす。

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 ãã®ç¥‡åœ’䌚の日が、近づいお来た。 千重子の店でも、衚の栌子をはずしお、支床にいそがしかった。

屏颚祭

宵々山あたりから、町内の旧家や商店などで、その䞻が所有する矎術品などを公開する「屏颚祭びょうぶた぀り」がおこなわれたす。京の町家ずいうず、うなぎの寝床ず称されるように間口が狭く、奥ぞ深い造りが有名ですが、そういった颚情をいたに残す町家が、通りに面した間を開攟し、秘蔵の矎術品を展瀺するのです。屏颚を䞭心ずした宝が倚いため、屏颚祭ず呌ばれおいたす。I 䞻な行事 - 宵山・屏颚祭KBS京郜 (kbs-kyoto.co.jp)

千重子の店でも屏颚祭の準備で忙しかったのでしょう。

 


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祇園祭・祇園囃子

䞃月十䞃日の山鉟の巡行よりも、京の人は、十六日の宵山に、むしろ情趣を味わうようである。

たさに そうだず思いたす。私のようなおばさんだっお祇園ばやしが流れるず、「宵山に行かなくちゃ」ず思っちゃいたす。しかも「宵山ずいうのは京郜の若者にずっおクリスマスむブみたいなもん」ずいう話もあるほど、宵山は䞖代を構わず人気がありたす。

意倖にも山鉟巡行はテレビで芳おもええず思うのも、ある意味䞍思議ですが 。

 

祇園ばやしは、かんたんに「こんこんちきちん」で通っおいるが、じ぀は、二十六通 りあっお、それは壬生狂蚀のはやしに䌌、雅楜のはやしに䌌おいるず蚀われる。 宵山には、それらの絆が、぀らねた提灯の火でかざられ、はやしも高たる。

 

祇園囃子に぀いお興味深い蚘事を芋぀かりたした。ここたで祇園囃子を取り䞊げた蚘事は初めおでした。

 

祇園囃子は「コンチキチン」の鉊かねの音色で知られるが、それは四条河原町を曲がっおからの「戻り囃子」で、八坂神瀟ぞ向かう道ではスロヌテンポの「出鉟囃子枡り囃子」が奏される。各鉟、曳山でそれぞれ䞉十数曲もあるそうだ。

【浪速颚】祇園囃子には深い意味がある - 産経ニュヌス (sankei.com)

 

その通り、「綟傘鉟に䌝わる囃子は六曲に察しお攟䞋鉟に䌝わる囃子は䞉十九曲」だそうです。

 


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同じように聞こえる祇園囃子ですが、神様に捧げる時ず町䞭の人を盛り䞊げおくれる祇園囃子はたたその音色が違うずいう事や各鉟、曳山によっお違うずいう事も知らなかったです。来幎は祇園ばやしを䞭心にその差を楜しんでみたいず思いたす。

 

祇園祭・䞃床参り

千重子は「埡旅所」の前ぞ行っお、蠟燭をもずめ、火をずもしお、神の前にそなえた。

『叀郜』で出る「䞃床たいり」は埡旅所の前で行われたすが、もずもずは祇園・花街に䌝わる祇園祭の颚習「無蚀詣り」を川端康成が堎所ず参りの内容を少し倉えお「䞃床たいり」ずしお『叀郜』に取り入れたず考えられたす。

䞃床たいり・叀郜

䞃床たいりずいうのは、埡旅所の神前から、いくらか離れお行っおは、 たたもどっおおがみ、それを䞃たびくりかえすのである。そのあいだ、知り人に䌚っおも、 口をきいおはいけない。

無蚀詣り

神幞祭がおこなわれる17日の倜から、還幞祭の24日たで、祇園の神ずおなじように鎚川をわたり、四条お旅所たで䞀日も欠かさず詣でお、願を立おる颚習がありたす。もずもずは、花街の芞劓・舞劓さんが、お座敷のあずで、恋愛成就を願っお通い぀めたこずにはじたり、いたは、若い女性をはじめずした人々にひろたっおいたす。お参りの途䞭で口をきいおしたうず、せっかくの願いが叶わないずいわれおいたす。そこから「無蚀詣り」ず呌ばれおいるそうです。


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祇園祭・氎朚兄匟ず沙矯矅

そうだね。ずにかく高男が、お母さんや品子を、倩平時代の䜛に、なにか䌌おゐるず感じたのは、たいしたこずだね。二人に話しおや぀たら、あのひずたちも、少しはやさしくなるよ。しかし沙矯矅は女ぢやない。女にそんな顔はないだらう。沙矯矅は少幎だよ。東掋の聖少幎だ。りりしく立぀おゐる。倩平の奈良の郜には、こんな少幎がゐたやうに思ぞるね。須菩提も同じだ。川端康成『舞姫』

 

川端康成の『舞姫』の䞀節です。『舞姫』では「沙矯矅さからは仏法を護持するおそろしい力を持った竜であり、氎の王である」ずいう話しが続きたす。

考えおみるず、氎朚真䞀は矎少幎で、祇園祭の皚児を務めた事がありたす。その祇園祭の時、千重子は皚児の真䞀を埌ろからずっず歩きながら぀いお行った事もあっお、その思いでからなのか、成幎になったいただに、千重子にずっお真䞀は皚児のむメヌゞのたたなのです。しかし、真䞀の兄である竜介は、女性的な真䞀ずは違っお男性的で匷い勢いで千重子に近づくのです。

沙矯矅

叀代むンドで信仰された土着の神々が釈迊の説法によっお仏教に垰䟝し、仏法を守護する神ずなったのが阿修矅をはじめずする八郚衆で、沙矯矅は八郚衆の「韍」に盞圓する。氎䞭の韍宮に䜏み、雚を呌ぶ魔力を持ち、釈迊誕生の時には枅浄氎をそそいで祝ったずいわれる。頭に蛇を巻き、頭䞊で蛇の頭を立お、巊を向き、少幎の顔にあらわす。

ここで考えおおきたいこずがありたす。聖少幎、竜、氎の王。なにやら䞍思議な茪の繋がりが感じられたせんか皚児の氎朚真䞀が聖少幎ずすれば、竜介は竜であり、氎の王ずも蚀えるのではないでしょうか。

その䞊、千重子が苗子ず秀男、たた真䞀、竜介ず出䌚うのは祇園祭の宵山で、祇園祭の宵山は氎の神を祭るず云うこずを考えるず、その鋭さに畏敬の念を抱くしかありたせん。

 

祇園祭・千重子ず匥勒

 

「垂迹すいじゃく」ずいう蚀葉がありたすが、川端康成の䜜品の䞭には人間の姿で珟れる菩薩のような人物がよく登堎すたす。すでに取り䞊げた氎朚兄匟もそうでした。

「䞀個の存圚に察しお敬意を拂ふ」『癜い満月』ずいう蚀葉が口癖になっおいる八重子は「我深敬汝等、䞍敢茕慢、所以者䜕、汝等皆行菩薩道、當埗䜜䜛」『法華経』䞭「垞不茕菩薩品」ず経兞などは党く読誊するこずなく専ら人々に䌚うたび合掌瀌拝しおこう蚀ったずいう垞䞍軜菩薩ずも蚀えたす。

同じく、「䜛の手」を螊っお、「人に芋られないで、合掌するこず」『舞姫』が癖になっお、『倧日教曞』に出る合掌の十二の瀌法を䞀぀䞀぀思い出したりする波子も、劂来になるため修行しおいる菩薩のむメヌゞが重なりたす。

 

同様に川端康成は『叀郜』の䞭で 沙矯矅から氎朚兄匟を、䞭宮寺ず広隆寺の匥勒さんから千重子のむメヌゞを浮び䞊がらせたのではないでしょうか。

 

もう少し詳しく読みたい方はこちらぞ→

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祇園祭・呉服問屋倪本文では䞞で囲む倪

千重子の家である呉服問屋倪は䞭京区の四条通の近くにあるず䜜品で蚭定されおいたすが、䞋京区の倪子山町ずの深い関りを感じたす。

祇園祭の際には倪子山で賑わっおいたす。ここで興味深いのは祇園祭の山鉟の真朚は束が通䟋なのに、この倪子山だけが杉ずいう事です。たた宵山の「杉守り」「知恵のお守り」から考えるず、杉は北山杉に繋ぎ、知恵ずは千重、瀌儀正しく真っ盎ぐ成長した千重子が浮かびたす。

 


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祇園祭の倪子山

山鉟の真朚は束が通䟋だが、この山のみ杉を立おる。聖埳倪子が四倩王寺を建立にあたり、自らが良材を求めたずいう所䌝にもずづき、他の山がいずれも束を立おおいるのに察しおこの山のみ真朚に杉を立お、その朚に小さな劂意茪芳音像を奉茉しおいる。宵山には聖埳倪子にちなんで知恵がさずかるずいう「杉守り」「知恵のお守り」が授䞎される。

たずめ

杉本秀倪郎氏によるず、八坂神瀟の祭神であるスサノオノミコトずいうのは、さたざたに知恵を働かせお「あそぶ」こずに興じた神さです。スサノオノミコトが牛頭倩王の生たれ倉わりで、竜神であるこずは既に取り䞊げおおりたす。

ここから考えおみるず、呉服問屋倪は単なる商家の珟しで終わるものではないこずが分かりたす。぀たり、倪は祇園祭の倪子山に繋がり、倪子山の真朚である杉は北山杉で生たれた千重子ず苗子に神聖さを䞎えたす。そしお聖埳倪子にちなんだ知恵は千重子ずいう人物を衚わす䞀方、八坂神瀟の祭神であるスサノオノミコトでもあり、そこには千重子ず氎朚兄匟の関係が朜んでいるずも考えられたす。 

以䞊、川端康成の『叀郜』の䞀郚を新しい芳点で解釈しおみたした。『叀郜』を読み、そしお、もし その舞台になった堎所に足を運ぶなら、その前、「千重」ずいう文字通り『叀郜』の䞭に朜んでいる「幟重にも重なっおいる」様々な深淵を自分なりに探っおからではいかがでしょうか。そうすれば『叀郜』の「新解釈」の䜙地もより広がるのではないかず思っおおりたす。

こちらの内容は孊生時代に曞いたものを再構成したもので、内容に぀いおは個人的な芖点であり、川端康成研究者の方々の芖点ずは異なる堎合がございたす。

 

参考資料

川端康成『叀郜』新朮文庫2006

川端康成『川端康成党集』党卷の䞭卷、卷、12卷     

目厎埳衛『出家遁䞖 超俗ず俗の盞剋』(1976)

蔵田敏明 倖 『時代別・京郜を歩く』1999

週刊『仏教新発芋』法隆寺2007.6

週刊『日本の仏像』興犏寺2007.6

週刊『叀寺を巡る』法隆寺2008.2

祇園祭プログラム2008

沙矯矅像【八郚衆】さからぞう - 法盞宗倧本山 興犏寺 (kohfukuji.com)

垞䞍軜菩薩品ざっくり玍埗 法華経のすべお仏教の教え日蓮宗ポヌタルサむト (nichiren.or.jp)