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あなたの知らない京都

『古都』の中の京都ー祇園祭(『古都』を中心に)

 

『古都』の作者である川端康成は作品の中で祇園祭について次のように説明しています。

祇園祭は、七月十七日の山鉾巡行の一日と、遠い地方からの見物の人たちは、思いがちで あるかもしれない。せいぜい、十六日夜の宵山に来る。 
しかし、祇園祭のじっさいの祭事は、まず七月いっぱいつづいているのである。
七月一日にそれぞれの山鉾町で、「吉符入り」、そして、はやしがはじまる。

生き稚児の乗る、長刀鉾は、毎年、巡行の先頭であるが、そのほかの山鉾の順序を決めるのに、七月二日か三日、市長によって、くじ取り式が行われる。 
鉾は前の日あたりにたてるが、七月十日の「御輿洗い」が、祭りの本序であろうか。鴨川の 四条大橋で、御輿を洗う。 洗うといっても、神官がさかきを水にひたして、御輿にそそぐ だけである。
そして、十一日には、稚児が祇園社にまいる。長刀鉾に乗る稚児である。

『古都』は昭和36年(1961年)10月8日から昭和37年(1962年)1月27日まで、107回にわたって連載されました。『古都』は全9章で構成されていて、祇園祭は107回の中で13回を占めています。

 

1960年代の祇園祭の動画をみつけましたので、ご紹介いたします。『古都』が書かれた時期とそこまで差がなので、当時の雰囲気を感じる事ができます。

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 その祇園会の日が、近づいて来た。 千重子の店でも、表の格子をはずして、支度にいそがしかった。

屏風祭

宵々山あたりから、町内の旧家や商店などで、その主が所有する美術品などを公開する「屏風祭(びょうぶまつり)」がおこなわれます。京の町家というと、うなぎの寝床と称されるように間口が狭く、奥へ深い造りが有名ですが、そういった風情をいまに残す町家が、通りに面した間を開放し、秘蔵の美術品を展示するのです。屏風を中心とした宝が多いため、屏風祭と呼ばれています。I 主な行事 - 宵山・屏風祭|KBS京都 (kbs-kyoto.co.jp)

千重子の店でも屏風祭の準備で忙しかったのでしょう。

 


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祇園祭祇園囃子

七月十七日の山鉾の巡行よりも、京の人は、十六日の宵山に、むしろ情趣を味わうようである。

まさに…そうだと思います。私のようなおばさんだって祇園ばやしが流れると、「宵山に行かなくちゃ」と思っちゃいます。しかも「宵山というのは京都の若者にとってクリスマスイブみたいなもん」という話もあるほど、宵山は世代を構わず人気があります。

意外にも山鉾巡行はテレビで観てもええと思うのも、ある意味不思議ですが…。

 

祇園ばやしは、かんたんに「こんこんちきちん」で通っているが、じつは、二十六通 りあって、それは壬生狂言のはやしに似、雅楽のはやしに似ていると言われる。 宵山には、それらの絆が、つらねた提灯の火でかざられ、はやしも高まる。

 

祇園囃子について興味深い記事を見つかりました。ここまで祇園囃子を取り上げた記事は初めてでした。

 

祇園囃子は「コンチキチン」の鉦(かね)の音色で知られるが、それは四条河原町を曲がってからの「戻り囃子」で、八坂神社へ向かう道ではスローテンポの「出鉾囃子(渡り囃子)」が奏される。各鉾、曳山でそれぞれ三十数曲もあるそうだ。

【浪速風】祇園囃子には深い意味がある - 産経ニュース (sankei.com)

 

その通り、「綾傘鉾に伝わる囃子は六曲に対して放下鉾に伝わる囃子は三十九曲」だそうです。

 


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同じように聞こえる祇園囃子ですが、神様に捧げる時と町中の人を盛り上げてくれる祇園囃子はまたその音色が違うという事や各鉾、曳山によって違うという事も知らなかったです。来年は祇園ばやしを中心にその差を楽しんでみたいと思います。

 

祇園祭・七度参り

千重子は「御旅所」の前へ行って、蠟燭をもとめ、火をともして、神の前にそなえた。

『古都』で出る「七度まいり」は御旅所の前で行われますが、もともとは祇園・花街に伝わる祇園祭の風習「無言詣り」を川端康成が場所と参りの内容を少し変えて「七度まいり」として『古都』に取り入れたと考えられます。

七度まいり・古都

七度まいりというのは、御旅所の神前から、いくらか離れて行っては、 またもどっておがみ、それを七たびくりかえすのである。そのあいだ、知り人に会っても、 口をきいてはいけない。

無言詣り

神幸祭がおこなわれる17日の夜から、還幸祭の24日まで、祇園の神とおなじように鴨川をわたり、四条お旅所まで一日も欠かさず詣でて、願を立てる風習があります。もともとは、花街の芸妓・舞妓さんが、お座敷のあとで、恋愛成就を願って通いつめたことにはじまり、いまは、若い女性をはじめとした人々にひろまっています。お参りの途中で口をきいてしまうと、せっかくの願いが叶わないといわれています。そこから「無言詣り」と呼ばれているそうです。


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祇園祭・水木兄弟と沙羯羅

そうだね。とにかく高男が、お母さんや品子を、天平時代の佛に、なにか似てゐると感じたのは、たいしたことだね。二人に話してやつたら、あのひとたちも、少しはやさしくなるよ。しかし沙羯羅は女ぢやない。女にそんな顔はないだらう。沙羯羅は少年だよ。東洋の聖少年だ。りりしく立つてゐる。天平の奈良の都には、こんな少年がゐたやうに思へるね。須菩提も同じだ。(川端康成舞姫』)

 

川端康成の『舞姫』の一節です。『舞姫』では「沙羯羅(さから)は仏法を護持するおそろしい力を持った竜であり、水の王である」という話しが続きます。

考えてみると、水木真一は美少年で、祇園祭の稚児を務めた事があります。その祇園祭の時、千重子は稚児の真一を後ろからずっと歩きながらついて行った事もあって、その思いでからなのか、成年になったいまだに、千重子にとって真一は稚児のイメージのままなのです。しかし、真一の兄である竜介は、女性的な真一とは違って男性的で強い勢いで千重子に近づくのです。

沙羯羅

古代インドで信仰された土着の神々が釈迦の説法によって仏教に帰依し、仏法を守護する神となったのが阿修羅をはじめとする八部衆で、沙羯羅は八部衆の「龍」に相当する。水中の龍宮に住み、雨を呼ぶ魔力を持ち、釈迦誕生の時には清浄水をそそいで祝ったといわれる。頭に蛇を巻き、頭上で蛇の頭を立て、左を向き、少年の顔にあらわす。

ここで考えておきたいことがあります。聖少年、竜、水の王。なにやら不思議な輪の繋がりが感じられませんか?稚児の水木真一が聖少年とすれば、竜介は竜であり、水の王とも言えるのではないでしょうか。

その上、千重子が苗子と秀男、また真一、竜介と出会うのは祇園祭宵山で、祇園祭宵山は水の神を祭ると云うことを考えると、その鋭さに畏敬の念を抱くしかありません。

 

祇園祭・千重子と弥勒

 

垂迹(すいじゃく)」という言葉がありますが、川端康成の作品の中には人間の姿で現れる菩薩のような人物がよく登場すます。すでに取り上げた水木兄弟もそうでした。

「一個の存在に対して敬意を拂ふ」(『白い満月』)という言葉が口癖になっている八重子は(「我深敬汝等、不敢輕慢、所以者何、汝等皆行菩薩道、當得作佛」)『法華経』中「常不輕菩薩品」)と経典などは全く読誦することなく専ら人々に会うたび合掌礼拝してこう言ったという常不軽菩薩とも言えます。

同じく、「佛の手」を踊って、「人に見られないで、合掌すること」(『舞姫』)が癖になって、『大日教書』に出る合掌の十二の礼法を一つ一つ思い出したりする波子も、如来になるため修行している菩薩のイメージが重なります。

 

同様に川端康成は『古都』の中で…沙羯羅から水木兄弟を、中宮寺広隆寺弥勒さんから千重子のイメージを浮び上がらせたのではないでしょうか。

 

もう少し詳しく読みたい方はこちらへ→

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祇園祭・呉服問屋太(本文では丸で囲む太)

千重子の家である呉服問屋太は中京区の四条通の近くにあると作品で設定されていますが、下京区太子山町との深い関りを感じます。

祇園祭の際には太子山で賑わっています。ここで興味深いのは祇園祭の山鉾の真木は松が通例なのに、この太子山だけが杉という事です。また宵山の「杉守り」「知恵のお守り」から考えると、杉は北山杉に繋ぎ、知恵とは千重、礼儀正しく真っ直ぐ成長した千重子が浮かびます。

 


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祇園祭の太子山

山鉾の真木は松が通例だが、この山のみ杉を立てる。聖徳太子四天王寺を建立にあたり、自らが良材を求めたという所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対してこの山のみ真木に杉を立て、その木に小さな如意輪観音像を奉載している。宵山には聖徳太子にちなんで知恵がさずかるという「杉守り」「知恵のお守り」が授与される。

まとめ

杉本秀太郎氏によると、八坂神社の祭神であるスサノオノミコトというのは、さまざまに知恵を働かせて「あそぶ」ことに興じた神さです。(スサノオノミコト牛頭天王の生まれ変わりで、竜神であることは既に取り上げております。)

ここから考えてみると、呉服問屋太は単なる商家の現しで終わるものではないことが分かります。つまり、太は祇園祭の太子山に繋がり、太子山の真木である杉は北山杉で生まれた千重子と苗子に神聖さを与えます。そして聖徳太子にちなんだ知恵は千重子という人物を表わす一方、八坂神社の祭神であるスサノオノミコトでもあり、そこには千重子と水木兄弟の関係が潜んでいるとも考えられます。 

以上、川端康成の『古都』の一部を新しい観点で解釈してみました。『古都』を読み、そして、もし…その舞台になった場所に足を運ぶなら、その前、「千重」という文字通り『古都』の中に潜んでいる「幾重にも重なっている」様々な深淵を自分なりに探ってからではいかがでしょうか。そうすれば『古都』の「新解釈」の余地もより広がるのではないかと思っております。

*こちらの内容は学生時代に書いたものを再構成したもので、内容については個人的な視点であり、川端康成研究者の方々の視点とは異なる場合がございます。

 

参考資料

川端康成『古都』新潮文庫(2006)

川端康成川端康成全集』全19卷の中1卷、9卷、12卷     

目崎徳衛『出家遁世 超俗と俗の相剋』(1976)

蔵田敏明 外 『時代別・京都を歩く』(1999)

週刊『仏教新発見』法隆寺(2007.6)

週刊『日本の仏像』興福寺(2007.6)

週刊『古寺を巡る』法隆寺(2008.2)

祇園祭プログラム(2008)

沙羯羅像【八部衆】(さからぞう) - 法相宗大本山 興福寺 (kohfukuji.com)

常不軽菩薩品|ざっくり納得 法華経のすべて|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイト (nichiren.or.jp)