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あなたの知らない京都

司馬遼太郎を魅了したお寺・大徳寺

大徳寺ほど物語を持つお寺があるのでしょうか。火事や応仁の乱を経て今の大徳寺にたどり着くまでの歴史には、一休さんを始め、織田信長、豊臣秀吉、千利休が絡まっています。

「紫野」という美しい名前(紫野のあたりは昔…風葬の地である蓮台野があり、紫というのはその遺体から流れる血という怖い話もあります😓)が付いたこの地に建てられ、広々とした境内に「大徳寺の二十余りの塔頭はことごとく一級の美術館といっていい」と司馬遼太郎が絶賛した大徳寺ですが、その始まりは雲林院の一角に建てられた小堂でした。

元々天皇から愛されたこの地に淳和天皇が離宮を建て雲林亭(紫野院)とし、その後、離宮が寺に変わって雲林院となり、菩提講など栄えるが、鎌倉時代に入って衰退、そこに宗峰妙超が建てた小堂が大徳寺の始まりとなります。その雲林院は今は大徳寺の塔頭になっています。

 

雲林院にご興味のある方は別投稿をご参照ください。

大徳寺
🔹開山:大燈国師宗峰妙超禅師 🔹本尊:釈迦如来
大徳寺は鎌倉末期、大燈国師(宗峰妙超)により開創され、花園上皇と後醍醐天皇の厚い帰依を受け、京都五山のさらに上位に位置づけるまでになりますが、室町時代に幕府の保護を辞退して在野の禅院として独自の立場を築いてきました。
 
応仁の乱で建造物は焼失したが、 「一休さん」として親しまれている一休宗純が堺の豪商の庇護を受けて復興し、臨済宗大徳寺派の大本山で、広い寺域に別院 二ヶ寺と二十一の塔頭を有するようになります。
 
豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立した事と千利休が山門(金毛閣)に自分の木像を安置した事で、豊臣秀吉により切腹を命じられた事でも知られています。
 
➡大徳寺は京都検定の常連さんです。昨年の京都検定にも出題されています。

2023春・⼤徳寺本坊伽藍特別公開

この前、『京都浪漫』という番組で「⼤徳寺本坊伽藍特別公開」に関する特集がありました。

今回の「⼤徳寺本坊伽藍特別公開」は仏殿も含まれていますが、仏殿は358年ぶりの公開になります。

番組によると、本尊の釈迦如来坐像は幻の京都大仏と言われる方廣寺の大仏の10分の一だと云います。滅多にないこの機会、ゴールデンウイークのお出かけにいかがですか?

拝観のご案内

🔹拝観期間:2023年4⽉27⽇(⽊)〜6⽉4⽇(⽇)
🔹公開内容:三門「⾦⽑閣」※外観のみ 

         仏殿(重要文化財)
        法堂並びに狩野探幽筆 法堂天井画『雲⿓図』(重要文化財)
        唐⾨(国宝)

🔹拝観休止日:なし(法務の都合により拝観休止になる場合あり)
🔹拝観時間:10:00~16:00(混雑状況により受付終了時間を早める場合あり)
🔹拝観料:⼤⼈2,000円・中⾼⽣1,000円・⼩学生500円(保護者同伴)
※未就学児1名につき保護者1名同伴

🔹拝観受付場所:大徳寺茶所

https://kyotoshunju.com/大徳寺茶所

※20分毎に約20名様ごとに入場、ツアー形式で拝観(団体は要予約)

大徳寺と朝鮮通信使

大徳寺には当時の朝鮮外交使節団が4回滞在した場所でもあります。朝鮮通信使として知られている朝鮮外交使節団は船で対馬島から下関を経て、大阪の淀浦に着き、その後陸路で京都に向かいました。その規模は相当なもので、300人から500人の大移動になり、使節団が通過する客舎では文化交流も盛んだと云います。

朝鮮通信使が初めて大徳寺に滞在したのは1590年の事で、7月2日、朝鮮通信使一行300人が大徳寺に入り、総見院などに宿泊しました。支禄・慶長の役以後は戦中の民間被虜人を連れ帰るためのが主な任務となった朝鮮通信使が大徳寺に滞在した時は「京都近辺で日本の主人に仕えてい た被虜人が訪れ、帰国を促した通信使の随員 たちから家郷の消息を聞いて慟哭する場面もあった」と伝われています。

大徳寺・総見院

総見院は豊臣秀吉が織田信長を弔うため創建されました。

豊臣秀吉が織田信長の葬儀を行った本堂には秀吉が奉納した木造織田信長公坐像が安置されています(総見院は織田信長の法号)。

織田信長公坐像は2体作られ、もう一体は信長の棺に遺体の代わりに入れられたと云います。

大徳寺の塔頭は非公開が多いですが、春と秋の特別公開が行われる事が多いです。

2023年大徳寺の塔頭の春の特別公開は終了しました。(2023年4月1日~5月7日の土日祝)」

大徳寺・黄梅院

黄梅院は大徳寺参道を進んで最初に現れる塔頭です。

黄梅院
大徳寺の塔頭の一つで、織田信長が父信秀 の追善菩提のため、永禄五年(一五六二)に羽柴 秀吉(後の豊臣秀吉)に命じて建立した小庵に始まる。秀吉の希望により千利休が作庭した枯山水の庭のほか、破頭庭、作仏庭など禅寺の風情ある美しい庭園を有している。本堂の襖絵「竹林七賢図」は雪舟の画風を継ぐ 雲谷等の代表的な水墨画で、重要文化財に指定されている。また、書院には千利休の茶道の師である武野紹鴎好みの茶室・夢軒がある。 墓所には、織田信秀、毛利元就夫妻、元就の 息子三兄弟、信長の次女とその夫蒲生氏郷、 毛利一族などが祀られている。

大徳寺・龍源院

大徳寺・三玄院

大徳寺・正愛院

大徳寺・芳春院

前田利家の夫人松子(芳春院)が創建した寺院。境内の楼閣「呑湖閣(どんこかく)」は「金閣」「銀閣」「飛雲閣」と共に「京の四閣」に数えられています。➡ 京都検定に出題されています。

大徳寺・大仙院

古嶽宗亘(こがくそうこう)が創建した寺院で狭い敷地に樹木・石・白砂を高密度に配置した枯山水様式の書院庭園で知られています。➡ 京都検定に出題されています。

大徳寺・大慈院&瑞峯院

大徳寺・400年前の“忘れ物”

昨年秋頃…大徳寺の国宝の方丈の屋根裏から、400年前の“忘れ物”が見つかり、大きな話題を呼びました。

その忘れ物とは江戸時代に使われたと見られる「のみ」です。

見つかった「のみ」は昨年11月5日と6日に大徳寺で一般公開されました。

京都検定に挑戦!

✅昨年の京都検定にはこのような問題も出題されています。

第21回京都検定3級

17)現在、修復中の方丈(国宝)から裏に年号が書かれてある畳が見つかり、「最古の畳」として話題となった、紫野にある臨済宗の寺院はどこか。

ア)大徳寺  イ)延暦寺   ウ)建仁寺   オ)醍醐寺

解説:「国宝の方丈が修復中」「紫野にあるお寺」という事だけで正解にたどり着く事ができます。個人的には「のみ」が出題されると思いましたが、出題されたのは「畳」でした。畳の事は知らなかったのですが、問題の中に正解のヒントが含まれたので、解きやすい問題だったと思います。

大徳寺・山内図

大徳寺・山門(金毛閣)

千利休が自分の木像を安置したと言われる山門。

大徳寺のイブキ

イブキとしては珍しい巨木で、京都市の天然記念物にしてされています。樹齢は350年ぐらいだそうです。

大徳寺・色々

猫ちゃんは見つかったのでしょうか…気になります。

大徳寺・御朱印

御朱印を頂く場所がとても素敵でした。拝見できない場所ですが、御朱印を頂くために入る事ができます。わくわくしちゃいます😊

御朱印は手書きではなく書置きの御朱印になります。値段は300円です。

大徳寺・関連本

京都の寺社505を歩く<下>

出版年度は10年以上前になりますが、内容はとても充実していて、あまり知られていない場所も含まれていて、今読んでも当時とあまり変わらない感じで楽しめます。特に京都の深堀派におすすめです。

 

司馬遼太郎街道をゆく 34

まだ読んでおりませんが、司馬遼太郎さんが感じた大徳寺、読んでみたいです。

大徳寺・アクセス