「紫野」という美しい名前が付いたこの地に建てられ、広々とした境内に「大徳寺の二十余りの塔頭はことごとく一級の美術館といっていい」と司馬遼太郎が絶賛した大徳寺だが、その始まりは雲林院の一角に建てられた小堂でした。
先月、紫式部のお墓に行って来ました。まさか……あの紫式部のお墓が……こんな所に???と思うほど、意外な場所でした。しかも、すぐ隣には小野 篁(おののたかむら)のお墓。まさに……謎。お墓の入り口にもお二人のお名前が書かれた石碑が立っていました。なぜ、…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。